生である。石川先生の彫刻は、父に言わせると、牙彫《げぼり》風の肉があって、どちらかと言うとこなれが少いと言っていたが、上品でおっとりして、よく人柄が出ているという点で尊敬していた。殊に薄肉がうまく、石川先生は絵の心得があるから煙管《きせる》の筒など彫ると非常に名人で、自分など到底及ばないと言った。竹内先生の方は少し下卑ていると言っていた。矢張、彫刻では石川先生のものに一番感心していたようである。私もそう思う。山田鬼斎先生は、余り世間では言われていないが、非常に腕の出来る人である。腕っこきだけれど、少しガツガツした仕事振りで、品がない。岡倉さんの妹を細君にしていて、非常に強硬な議論家で学校では皆に随分煙たがられていた。私も美術学校の時、何年級かで山田先生の受持であったが、人間は直情で良い先生であった。代表作は此と言って遺っているものは少いが、細かいものが方々に散らばっている。或|蒐集家《しゅうしゅうか》のところで、父の作になっている物に山田先生の作があった位で、一寸似た所がある。矢張刀法が強く、その点一寸父のものと似ているが、衣紋《えもん》の彫方なども全然違い、感じが荒っぽく一見山田先生
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