た悪どいものだが、それも父の名前になっている。
そういう実際には父の拵えたものではないが父の名前になっている作品は大分ある。銅像は私が記憶にない頃からやっていたとみえて、若い頃の八の字|髭《ひげ》姿の松方正義伯のものなど物置に後まで木型があった。木で肖像を拵えるのだから、彫って行って気に入らないと又初めから拵えなおすので同じような首が実にいくらあるか分らない。皆仏様のように首を胴に嵌《は》めこんだものである。肖像で一番印象に残っているのは、平尾賛平さん夫妻の首だ。其の頃にはそういう肖像彫刻は未だ珍しい時代であった。父は原型を拵えてからやるのは始めは嫌いだったけれど、後にポインティング マシンが流行《はや》りだしてからは原型によってやるようになった。
父は又|御輿《みこし》を拵えるのが好きであった。自分で屋根の反りなどを考え、生地で彫物をつけたものだ。御輿には桑名の諸戸清六という人から頼まれて拵えたものだの、葭町《よしちょう》の御輿などがある。これらはなかなか形がよく出来ていた。
父と同時代の彫刻家で、個人的には非常に親密だったが、仕事の上で対立していたのは石川光明、竹内久一の両先
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