なのが一番厄介なのである。私は今でも時々その稽古をやってみるが、馬鹿にしていると、そんなことは出来なくなって、なかなかむずかしいものだ。地紋の稽古は本当にやらせると十種類ほど基本の形があって初め直線ばかりのものから七宝のような曲線のものになり、その次に新案と言って自分で考え出したものをやる。これをまあいいだろうというところ迄一年間位やらせるのであるが、然し恐らく誰もそれをよくやれた人はないだろうと思う。
次に「ししあい」という彫の稽古になるが、これは彫金で謂《い》う「片切」と共通した彫り方で「ししあい」には一種の秘訣のようなものがあって、それを呑込ませる為にやるのだが、これもなかなか難しい。然しその時小刀以外に初めて丸刀《がんとう》を使い初めるので、非常に進んだという気がして嬉しい。それが済むと浮彫になる。浮彫は数知れず手本があって、大抵は狩野派の粉本からとって当てがわれる。花鳥、果実、獣などやると、次に水とか火焔《かえん》とかを稽古し、最後に人物をやる。人物は兆殿司《ちょうでんす》の羅漢の粉本をやるのであるが、他の画家の羅漢は余り彫刻にならないが兆殿司のはそのまま薄肉になるのは、恐らく余程立体的なのであろう。私もそれを盛んに稽古した。それで人間の顔の「にくあい」その他を覚えさせるのである。それが終ると板から離れて丸彫を始める。然し其処までやると丸彫になっても格別のことはなく、ひとりでにやれるようになる。大抵初めは人物より動物の方が面白いから、それを彫らせるのである。以前は布袋《ほてい》とか蝦蟇《がま》仙人などを手本にやったが、美術学校が始まるようになってからは、そんなものは生徒が面白がらないので写生風なものをやるようになっていた。その時分には、木彫の方でも油土で原型を拵えさせ、それを木で彫らせるという風になっていた。
前に述べたように「こなし」を覚えることが骨子だから、荒彫を非常に重要視する。荒彫が本当にとれるようにならぬと、それから先に進めない。進んではいけないということになる。学校では成績をよくする為に、そんな厳重なことはしなかったが、家では、荒彫で本当に形がとれるようになるまでは仕上げはさせなかった。形がとれるようになれば次に「小作り」をやる。部分的な鼻とか口の切れ目とかを大体彫るわけだが、そういう場合でも小作りなら小作りで全体にいつも調子をとってやるの
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