に頼まれて行って三四度当てた。父と時々往来していた牙彫《げぼり》の旭玉山さんのところの無尽講にも、誰かに頼まれて行って当てたことを覚えている。玉山さんは、髑髏《どくろ》の牙彫など拵えると鼻の孔《あな》へ毛を通すと目に抜けるという位の細かい細工をした人だが、この人はなかなか経済家で、彫刻家を糾合して無尽を拵えていたのである。私は小学校時代には非常に不思議なことが出来た。父の弟子の中に武州粕壁から来た野房儀平という男があって、この男の親類に山伏のような人がいて、それでいろいろ秘法を知っていた。私はその男にせびって到頭その秘法を教わった。例えば真赤におこっている炭火を素手に載せて揉《も》み消すことが出来た。堅炭のような強い火ほどいいのである。小学校には昔は炭火をおこして居たので、先生などの居るところでやって見せると驚いて、先生も不思議がって「変だな」といってやってみるが熱くて出来ない。私だけ出来て不思議に思ったものだがなぜか自分でも分らない。秘法を教わって、そうやると熱くないのだという自信があるから、恐らくその為なのだろうが、兎に角|火脹《ひぶく》れにならない。昔熱湯へ手を入れて黒白を争ったような場合も、矢張、正しい人は自分には神様がついているから大丈夫だという自信があるからいいので、手を入れて黒白を判別するのではなく、悪い者は其の前に既に降参するのだと思う。これも野房から習ったのだが、私は刀の刃も渡れた。普通の切れる刃なのだけれども、足の裏を真平らに刃の上に載せて、前後に動かさず擦らなければ、身体の重みだけでは切れない。自信を以て渡れば切れない。限度はあるだろうけれども、ああいう風なことは確に出来るものだということを、私は自分の体験からはっきり言うことが出来る。野房は、彫刻はまだ大成しない中に、頭が変になって、父の家の細工場の窓の所に足をかけて「向うから敵が来る。」などと言って気が狂って死んだ。
 何かあの頃は、そういう神秘的なようなことが頻《しき》りと行われた。盤梯山が破裂したり、三陸の津浪《つなみ》が起ったり、地震があったり、天変地異が頻々とあって、それにも少年の自分は脅かされた。地震のある時は夜空が変にモヤーッとした異様な明るさがある。之はこの頃学者の書いたものを読んで居たら、事実で、昔から言われていることだそうだ。その頃、私は夜になるとよく空を見ていたことを覚え
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