る程こなす人でなければうまくならぬと言っていた。それはものを大きく見て、大きい「肉合」を始めから出来る人だ。さもないと、細かい所ばかり拵えるようになって、ただ締りのない部分だけしか出来ない。そういうのは、室町時代の地蔵様などによくある非常に精巧に出来ているが重苦しいのである。部分を見るとよく出来ているが、全体から見るといけない。そういうのは「こなし」が出来ていないのである。全体の大まかさ、そんな点で上代のものは「こなし」が非常によく出来ている。寧ろ「こなし」だけで、部分は大して問題にしていない。夢殿の救世観音《くせかんのん》にしても、中宮寺の弥勒《みろく》にしても、よほど「こなし」が良く出来ている。
仏師の出である父は、又「仕上げ」を非常に喧《やかま》しく言ったものだ。仕上げには、普通に仕上げるのと「本仕上げ」というのとあって、本仕上げは父の一生涯のうちにも幾度しかやらぬという位のものだ。仕上げの時には、木目に従って削って木目の自然に添って刀痕《とうこん》が揃ってゆくという風にするのだが、本仕上げになると、刀痕もなくなって了う位に細かに削る。之には独特の削り方があって、ただやっていたのでは出来ぬ。矢張小刀で削るのであるが、普通なら小刀を逆に使わなければ出来ぬところを、非常にむずかしいが特殊の方法で逆目もなしに出来るのである。本仕上げにして猶《な》お肉がいいというのを本当に良しとした。そんな点で中出来のものは一見よく見えがちなものである。父は本当に仕上げてもいい彫刻でなければ駄目だということをよく言っていた。だからロダンの未完成な作品の写真など見ると、「此を仕上げたらどうなるだろうな。」などと言った。私の知っているもので、父が本仕上げにしたものは、浅草の清光寺にある白檀《びゃくだん》の阿弥陀《あみだ》様がその一つだ。七、八寸ある像だが、非常な手間をかけて本仕上げに仕上げたものである。
昔は、荒彫りをするこなし専門の人と、仕上げ専門の仕上師とがあって、分業になっていた。小作り位までやって仕上師に渡すという風で、全部自分でやれる人は、昔は殆と居なかったらしい。その中で綜合的《そうごうてき》に出来る人がよくなって来るのだ。父の仕事なども、初め父が原型を拵えると、それによって弟子に小作り位までやれるのがいて、それが小作りまでやって来ると、父がそれをうまくこなし、仕上師の方
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