あるが、そういう厭味《いやみ》がまるでない。強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思うままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入した書で、実に立派だ。彼の元祐年代頃の書と思いくらべると、この「詩巻」の意味がよくわかる。
朝、眼がさめると向うの壁にかけてあるその写真の書が自然に見えるのだが、毎朝見るたびに、はっとするほどその書が新らしい。書面全体からくる生きてるような精神の動きが私をうつ。この書が眼にはいると、たちまち頭がはっきりして、寝台からとび下りて、毎朝はじめて見るような思でその写真の前に立たずにいられない。そして「蒙々篁竹下」とあらためてまた見る。吸いよせられるような思で、「漢塁云々」まで来ると、もう顔を洗ったような気がする。まずいようだなどといっては甚だ申しわけがない。それどころではないのである。尤《もっと》もむかし王定国という人が彼の書を巧みでないといったそうで、黄山谷自身も、この詩巻を書いた時は背中にできものができていて、手が思うように動かないので字に成らなかったといったそうであるが、これはどうだか。手が動こうが動くまいが、こんな立派なものが書ければ申
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