が此所に全く融合し、更に近世的人間苦の抒情性、爆発性を内蔵して、遠くして近く、近くして遠い此の全人的芸術が生れた。ミケランジェロは近世初頭に於いて能《よ》く人類の持つ彫刻的能力を出し尽した観があり、従って以後数世紀に亘って、人類の人生観世界観の革新せられない限り、人はただ彼の彫刻の前に慴伏《しょうふく》する外はなかった。そしてただ徒《いたずら》にその表面様式を硬化させている外はなかった。彼以後の西欧彫刻は、遠くロダンの出現に至るまで、言わば蛇足を加えていたに過ぎない。ミケランジェロが近世初頭に於ける人間解放を意味するとすれば、ロダンは近世末期に於ける資本主義的成熟と崩壊との形象的象徴を意味するという点に於いて、ロダンが僅にミケランジェロの前に立ち得るのである。
 今世界の秩序は甚だしい動揺の中に居る。かかる世紀にあるわれわれ東瀛《とうえい》の民族が又改めてミケランジェロを静観することは意味深い。此の近世初頭に於ける人類の造型的権化をわれわれ東方の新らしい眼と心とを以てもう一度直視することは意味ふかい。
 われわれは淵源《えんげん》として夢殿の救世観世音《くせかんぜおん》を持つ。此の東方
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