きた神なりクリストなりマリアなりと同じであったとはうけ取れない。彼が一生涯に作った多くのそれらの絵画彫刻は、彼にとってまことに絵画であり彫刻であったに過ぎず、神やクリストやマリアはその絵画彫刻の伝説的主題として純粋な芸術的意味の外に意味は持たなかったに違いない。彼の内なる神とはただ犯し難い自然の理法の事であり、クリストとは人間の中の人間の事であり、マリアとは母の中なる母の事であったというより外はない。彼はクリスト教オルソドックスのまっただ中に生き、至上者法王と常に顔を合せながら、彼はまったくその外側に息づいていた。彼はそれらのもののドグマをそのままには受取らず、時代の常識としての宗教に仕えるかわりにもっと別の次元に身を置いていた。美こそ彼をささえていた唯一のものであり、彼にとって一切は美の次元から照射されてはじめて腑甲斐《ふがい》あるものとなった。美は宗教から出る放射物であり得ず、かかる宗教とは次元を異にする別個の力であり、いわゆる宗教上のもろもろの伝説は、ただ伝説として美の世界に役立つものでしかなかった。彼は法王庁カペラ シスチナの天井に旧訳聖書を画き、正面壁画に最後の審判を画きなが
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