どんなものであるかを見きわめようとした。私の脳裏のミケランジェロはその行蔵の表裏矛盾にみちしかも底の底ではただ一本道を驀進《ばくしん》するタンクのような人間であった。一体彼がとって動かぬ根本のささえとなったものは何であろう。時代の常識から考えればむろんそれは神であり、クリストであり、マリアであったといわねばならず、彼も亦神をかき、クリストを画き、マリアを画き、且つ石で彫り、神に祈る多くの詩を書いた。心のきしめく時必ず神をよんだ。だが、彼の神とは何であろう。どう考えてもそれはヴァチカン宮の中に居ない神のようである。彼自身が画にかき、彫刻に彫った神やクリストやマリアのようなものではなかったようだ。彼は十三四の頃から聖書によみ耽《ふけ》り、又ダンテの「神曲」に魂を奪われていたのであるから、それらのものが彼の内に形づくった素朴な映像が次第に増大して、後年の多くの製作となったには違いないが、その映像も最初はやはり先人の遺した多くの伝統的映像に養われたものであろうし、結局それは一つの仮設の世界のものであり、伝説的存立としての仮象であるから、彼の自らつくる神なりクリストなりマリアなりが、彼の内なる生
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