かも、その平面を透して見んとする意志もまたそれみずから変容している。壁が衝立、障壁と転化し、それに平面図を投げつけることにより、さらにその絵そのものを独立させ、特殊の画布として独立させる過程は西欧においても宗教画的壁画より画布が漸次独立しきたる過程として観察される。
 それらの根底には宗教的封建的社会構成より、個人的所有的資本主義形態に移りゆく社会機構が関連しているように私には思われる。
 あらゆる歴史的必然的なる被担性 Getragenheit の中にみずからの自由を発見するもの、それが芸術家である。あらゆる歴史の中にあらゆる困難を越えて、その底に美わしさを求めるものが芸術家である。巌であれば巌の固さの中に美わしさを求めいずるもの、仏像の尊厳を守りたてまつる板目であればその板の上に、襲いくる矢を防ぐ壁であればその壁の上に、豪奢をきそう富商の障壁であればその障壁の上に、すべての被担性を乗り越えてその中に「美」を盛ろうと試みるものが芸術家である。
 壁とは目を障《さ》えぎり、視覚を覆うものの所謂《いい》である。それを透して見んとする意志がかぎりなく働く。不自由と、必然を透して自由を得んと
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