蓄音器の針
中井正一
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)道具[#「道具」に傍点]
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何の針をとって見てもヴィクターのソフトはヴィクターのソフトだ。針は現にひとつひとつ違っているんだがやはりヴィクターのソフトだ。どのひとつひとつもが一つの「型」にしかすぎない。
「型」の出現は一応販売あるいは組織から要求されてきたことである。
今人間もようやく政策あるいは就職の形式をもって、道具化商品化しつつある。すなわち「型」可能形の中にはめられつつある。
これまでの哲学では人間は最後の個別的現実であって、そこから新たな可能性、独創性、発明が生まれるところの測られざる未来を生み出す杭のように考えられてきた。そこに研究の自由の意味も拠ることができたのである。大学とはそこで個別性の最後の拠処でもあったのである。
今やそれが歴史的転落によってはかなくも崩れ去りつつあるのである。
すでに政策と就職によって、社会より一定の「型」の性格を強制せらるる場合、もしそれに追従するとすれば、何の研究を取り来たっても、何の研究者を取り来たっても一つの「型」がそこにできあがるのであって、それは人間ではなくして、一つの標準型の道具[#「道具」に傍点]であり、販売化されたる商品[#「商品」に傍点]である。過去の規定[#「過去の規定」に傍点]によるところの現在の強制[#「現在の強制」に傍点]であって、現在の不合理[#「現在の不合理」に傍点]を飛躍するところの未来の展望[#「未来の展望」に傍点]では決してありえない。
大学の抗争は単なる瀧川問題の意地張りではないであろう。
人間[#「人間」に傍点]が道具化[#「道具化」に傍点]され商品化[#「商品化」に傍点]されつつある全歴史性への人間全体の最後の抗争のあらわれ[#「人間全体の最後の抗争のあらわれ」に傍点]である。
人々はこの事件の底に、深淵に臨むごとき戦慄を、認識されないこころの深みにおいて[#「こころの深みにおいて」に傍点]見出しているのである。
人々のこの事件への興味は、単なるスポーツのそれではない。自分たちにもはっきりわかっていない人間の不安[#「人間の不安」に傍点]が人々を刺戟しているのである。
どれだけ多くの人々が一糸も乱れざる京大法学部教授の結束に、みずからは気づかずして、一脈の魂の涼しさを味わっているかしれない。人間を包む[#「人間を包む」に傍点]窒息しそうな濁った熱っぽい空気を今はじめて気がついた[#「気がついた」に傍点]ともいえよう。
大学全体が、研究全体が、そして人間がついに[#「人間がついに」に傍点]すべて蓄音器の針[#「蓄音器の針」に傍点]のように、どれをとってみても一様にキチンとすかし絵の入ったベルトを巻かれた箱の中に横たわるのであろうか。
人々の不安はそこになければならず、またその不安は除去[#「除去」に傍点]されなければならず、新しい形をもってかたちづくらるべき不安でもある。
[#地付き]*『京都日出新聞』一九三三年六月五日号
底本:「中井正一全集 第四巻 文化と集団の論理」
1981(昭和56)年5月25日第1刷
初出:「京都日出新聞」
1933(昭和8)年6月5日
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2009年8月23日作成
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