そこで、どんな事業をするにしても、綿密な科学的調査研究をなしとげた上でスタートしなければならなくなった。もとより人間の知識は、いつの時代にも、全能ではないから、ある限界があって、最後の決断は「かん」なり「はら」なりに頼るほかはない。しかし、充分な調査研究をとげた後の「かん」や「はら」は、調査研究を経ない前のいわば盲目的・猪突的な「かん」や「はら」とはちがう。今日の文明国では、営利事業を経営するばあいにも、あるいはまた政府が何か新政策を実施するばあいにも、その準備として科学的調査研究をすることは、当然のしきたりになった。この点で最も注目すべきは、戦争を目的とする科学的調査であろう。戦争のような、感情的、投機的要素を最も多く含む仕事も、冷静な科学的調査を前提としなければ、手を出すことができなくなったのである。
 戦争と相似の関係あることであるが、実業界において、かつては実業家の個人的創意が大きな役割を演じたけれども、巨大な株式会社大経営においては、多数の専門家が調査にもとづいて経営がなされるようになり、「企業者職能」(シュムペーターの意味する)は衰退しつつある。
 行政の分野においてもまた同様であって、一国の複雑な行政は、それぞれの事務的及び技術的専門家が各分野を担当して、歯車の一つ一つを動かして運営されている。英雄的な政治家の手腕といったものも、もしこの歯車の運転手を掌握することがなければ、花火のようなものであって、一瞬間派手な閃光をはなつにすぎないであろう。このようなわけで、行政の分野にも、経済界にも、社会事業にも、労働運動にも、各種各様の専門家ができ上った。官庁はもとより、大銀行、大産業会社、大商事会社、経済団体、文化団体、労働団体などは、それぞれ多数の優秀なエキスパートを養成して、それぞれの仕事に利用している。西洋の先進国では、早くから各種の専門家が重要視せられ、経済的にも社会的にも良い生活ができるようになった。しかも、これらの専門家は一つの社会的集団としての勢力をもつまでに成長した。これらのいわばソーシャル・エンジニーアがなければ、現代の複雑な社会は運転することができなくなっている。バーナムの『経営者革命』は、この事実を表現したものにほかならない。そして、これらの専門家の数と勢力とは、二つの大戦と一九三〇年代の世界的大不況後の経済統制の実験によって、急速に増大
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