大会を終りて
中井正一
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地付き]*『図書館雑誌』一九五〇年六月号
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今度の大会を顧みて、私たちは図書館なるものの概念が、一九五〇年にふさわしく、新たなる意味を、日本においてもおのずから新たにつくられつつあることを、確然と見ずにいられない。
日本全国より結集せる五百人に余る若々しき図書館人が、近代的会議の技術を美事に駆使しながら、正確に、熱意に満ちて討議を繰り返している姿は、参加せるすべての人々に新たなる感銘を呼び起こさずにいなかった。
その量において、今次大会は、いまだかつて見ざる多数であった。また質において、またいまだかつて見ざる若々しさと、集団的訓練の成熟を身にそなえていた。
このことが、会自体を、国際的交渉をもつ一九五〇年にふさわしい新たなる雰囲気の中に包ましめたのである。図書館大会そのものを発展せる他のものとして、創造せしめたのである。
かつての図書館大会は、年一回の懇親的会合の気分もあって、大会そのものおよびその部会は、そのかもす空気において、談笑裡に決するものであることもあった。それは私たちになつかしい追憶のものでもあった。
しかし、今次大会は、この空気はようやくその姿を消して、もはや、この量、この質にあっては、人々を結ぶものは心理的紐帯でもってつなぐには、あまりにも巨大なるものに発展してしまったのである。
かかる段階の結集をつなぐ紐帯は、もはや他のものでなくてはならない。「論理」と「現実」に密着するよりほかに、もはや人々をつなぐ術はなくなったのである。
少数の夢で導くこともできなければ、少数の腹案で押すこともできなくなった。それが論理の線に正しく乗っていること、それが、リアルな現実の状態に即し副っていることが人々のこころを、一筋のゆるがざる鋼線でもって貫くことのできる唯一この媒介となることを、私たちははじめて学んだのである。
このことは巨大なる発見であるとともに、巨大なる発展でもあったのである。いわば、集団がはじめて、まともに、自分みずからをめぐる血管の音を、自分の中に聞いたことを意味するのである。
「論理」と「現実」により副うかぎり、私たちに孤独がないことを、私たちははじめて知ったのである。
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