色彩映画の思い出
中井正一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)踵《きびす》
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バンジャマン・クレミュウは『不安と再建』の中で、一九三〇年は、すべての領域で決定的な年であったといっている。世界的な経済危機、ロシアのダンピング、トーキーが欧州を風靡した年である。
それは集団的主張の時代が、個人的主張の時代に代わる年であると彼はいうのである。
わが国でも土橋的トーキーが、この流れにそって、研究され、世界の動きにおくれざらんとして戦っていた。そして、今、曲りなりにもトーキーは、世界的技術に踵《きびす》を接して、歩を共にしていたのである。
なぜ、色彩映画が、今、みごとに世界から立ちおくれたかについて、私は感慨深い想いをもっているのである。
以下、思いいずるままに語ろう。
一九三一年ごろ、支那学者内藤湖南氏の息子であり私の友人内藤耕次郎が京大の心理学教室にいた。彼はそのころ、すべての音が特有な色彩に見えるという性質をもっていて、それを記録するために映画の一コマ、一コ
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