でもある。
 この個人の存在論で用うるところの、「不安と怖れ」の言葉のかわりに、「自分自身を否定の媒介とする」と云う考え方を入れかえる時、個人より集団への飛躍が初めて可能となるのである。
 この「媒介」の言葉が、メディウムと考えられて、エーテルが物質の「中間者」としてあるように、凡てのものを結びつけていると考える立場をとると、昔のカント流の形式的空間にかえってゆくのだが、「媒介」が「無媒介の媒介」として、自分を切って捨てることで、自分が発展すると考える時に、「不安」は「自分自身を否定の媒介とする」と云う考え方にかわって、新しい弁証法的な空間論を構成することとなるのである。
 カントの形式的空間を逃れようとして、今、哲学はもがいている。「生きた空間」のテーマは、芸術の空間論で大切なテーマであり、映画の空間論は今後の課題である。



底本:「増補 美学的空間」叢書名著の復興14、新泉社
   1977(昭和52)年11月16日増補第1刷発行
底本の親本:「美学的空間」弘文堂
   1959(昭和34)年11月
初出:「シナリオ」
   1951(昭和26)年1月
入力:鈴木厚司
校正:染
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