図書館法楽屋話
中井正一
この議会で図書館法が通過したことは、全図書館人にとって、まことに感慨深いものがあるのである。
人々にとって、予算の背景のないあんな法案が何になるかという感じもあるであろうが、あの法案があの形になるまでには、いろいろの山もあれば河もあったのである。戦い敗れた国の文化法案の一つの類型的な運命を担っていたとも思えるのである。ここに少しふりかえってみたい。
ソヴィエートで図書館の数が不明確ではあるが二十八万五千といわれ、アメリカで一万一千三百(一九四五年)といわれているとき、日本ではそれに相当する規格の図書館は僅かに三百にすぎないのである。届出の千三百の日本の図書館は、それはほんの図書室といえるものまで数えてである。
この世界における驚くべき日本の現在の貧しさを平均化すべく、C・I・Eは昭和二十一年の三月にまず最初の行動に移ったのであった。キニー氏のつくった文部省ならびに図書館界の準備的会合である。まず在京及び近県有志と文部省より出発して、全国中央図書館会議にまでそれは発展したのであった。
いろいろの要綱案が、二十二年度において練られ、ネルソン氏もこれに援助の手をさしのべるに至ったのであった。二十三年度に入るや、中央ではバーネット氏を中心に研究会が開かれ、地方よりは館界の意見をあつめるために、九月公共図書館法委員会を開き、いわゆる協会案なるものが出来上ったのである。中央は予算通過困難を予想して案の財政措置を縮小せんと苦慮するし、地方の館界はできるだけ補助を得ようとして膨らまそうとするのは自然の勢いであって、ここに案自体が揉みに揉むというかたちになったのである。
そのことは文部省の中でもその矛盾の対立を生むし、館界でもまた、硬軟両論が相対したのである。文部省では、すでに社会教育法が二十四年度の提出法案として重要法案となっていたので、この中に図書館法案をくみ込んで公民館と図書館とを一連の組織体としたらと、課長会議は傾いていったのである。このことが館界に万一聞えると、大反撃を受ける可能性があるので、文部省はひそかに枚をふくんでこの案を進めていたのである。そして図書館法案は、かかる複雑な関係で、国会不提出の運命を多分にもちながら省議を通過したのである。いわば社会教育法の後ろ盾として、つっかえ棒の役割で目白押し法案の一つとなって行列の一つとなっていたのである。それを知らずに図書館界は、「省議通過」の飛電一閃、全国網を動員して、雀躍バーネット氏その他関係方面に猛運動したのであるが、思えばいつでも歴史は常に狡智に満ちた悪戯をするものではある。
この頃から協会は、ほんとうに腹を据えはじめた。夢のような甘い考えをすてなければならないこと、この現実の冷厳さの中に本気に立ち直るすべを知ったのであった。「法案の流線型化」という妙な言葉を考えついたのも六月の大阪における日本図書館協会大会においてであった。ショープ、ドッジ両案でグッと緊まっている予算の空気の中をいかに通りぬけるか、そこに流線型化の意味があるのである。つまり、いつでも膨らむ用意をもちながら、一見何の経費を要せぬ屁のような法案と見えるものとして装われなければならない運命を、この法案は生まれるときに担っていたのである。文化国家となるのもまたつらい哉である。
公共図書館協議会なるものを九月に作った頃から、この法案はラーストコース、ラーストスパートに入った。この頃バーネット氏を引嗣いだフェアウェザー嬢も帰り、再びネルソン氏の世話になることとなったのであった。理事長の責務にあった私は、二十五年度の提出の機を失したならば、あるいは永遠にその時をもたないかも知れないと見たのであった。そこで、弱い法案なら通さない方がよいという一部の館界の意見を説き伏せて、流線型法案として(自分は「砲弾型」とたわむれに呼んだのであった)正月の初閣議に持ち込むことに計画を立てたのであった。
十二月に、図書館協会の図書館法委員会を糾合し、文部省の局長以下全員国立国会図書館エジプトの間に集まって、法案通過のためには、最少限度の予算措置をも忍ぶという統一態勢に、まとめあげたのであった。かかる上は、もはや全責任はこちらに移ったのである。一つの法案が私達の手を離れて法となるにはG・H・Qをふくめて十カ所の関所を通過しなければならない。館は打って一丸となり、文部省とピッタリと腹をあわさなければならない。それには文部省の新婚間もない事務官などを罐づめにして、年内に法務府に法案が渡るようにしなければならない。
補助金の文字(まことに文字だけにしかすぎないのであるが)を、may(行ない得るものとする)でよいから残して下さいと、大蔵省の課長から局長へと何度となく嘆願に行くのである。午前中に文部省の局長、午後に私達、続いて御婦人の文部省課長と手を換え品を換えて“人海戦術”を取ったのであった。そして外では二十五年一月十五日を図書館デーとして署名運動、講演会、新聞宣伝と呼応して立上ったのである。こうしてやっとのことで二十七日の閣議通過、三月四日国会上程という運びとなったのである。
ここで、私達は流線型法案の意義を再確認すべき時となったのである。もし情勢さえ許せば、できるだけ膨らまなければならない。魚の流線型は、あの鱗の動きでそのカーヴを替えうるのだそうである。私達はまずC・I・Eで、参議院の文部委員会で、この魚鱗の陣を構えたのである。補助金の「may を shall へ」と文法学的なスローガンをもって臨んだのであった。まず参議院を、そしてG・H・QのO・Kを、そして衆議院をとぬらりくらりしながら may を shall に替えて通りぬけたのである。
四月八日の衆院本会議を通ったとき、全く私達は手を握り合ったのであった。思えば五年越しの紆余曲折のはての刀折れ矢つきた形の法案である。この回顧の上にのせて見て、はじめて、あの屁のような法案が意味をもち、それを喜ぶこころもわかって貰えるのである。
文化法案が、この日本でもつ運命が、こんな苦労をしたことを、私は石に刻んで置きたいのである。数十年後の人々が、それを笑をふくんで読みかえす日のためにである。しかし私は、これが決して単なる屑法案であるとは思っていないのである。文化法案はそれがいかにささやかでも、生きた芽のようなエネルギーをもっているというのである。
零戦闘機のような技術的製作でも、四十年以上義務教育のある国家の文化雰囲気でないと製作できなかったそうである。突然満洲国へ工場をもっていってもやりにくいそうである。文化というものはそんなものである。数十年の空気が醸し出すものである。ソヴィエートに二十八万あるのに日本に三百しかない図書館を、一万七百に増すことを目標とするこの法案は、決して屁のような法案ではない。
村々に図書館が出来、円らな瞳をした少年達が、本を読む喜びを知ることは美しいことではないか。大塚金之助氏に或る雑誌記者が、「貴方がこれまで一番感動されたことは何ですか」とたずねたら、「小さい時、図書館へいって、分厚い本を館員から渡されたときの、深い感動ほど、私をゆすったものはこれまでない」といわれたそうである。私はこの話を美しい話だと思う。どの漁村にも図書館が出来て、その少年達がこの感動をもって本を受け取ることが出来た後の二十年後の日本は、何か変り、何か一歩を進めるにちがいないと私は信ずるのである。信じたいのである。
今、青年達の読書力は日に日に落ちつつある。一年前『群書類従』の古本に売る値段は紙屋に硫酸で溶かすために売る値段と余り違わず、日に日に焼けていったのであった。二十三年法隆寺が焼けて、文部省がその事に夢中になって、図書館法をかえり見なかった時、私は憤然たらざるを得なかった。毎日、日本の文化の壁ともいうべき良書が硫酸で焼け落ちつつあるではないか、この焚書時代を出現した心構えが、法隆寺を焼いたのである。日光廟の修理に用うる同額の金が直ちに図書機構に投ぜらるべきであるといわずにはいられなかった。
この法案が通過してみると、一年前に通過した社会教育法よりも、むしろこの法案は実質は動く法案となりつつあるかのようである。いくら喜べ笑えといってみても、喜び笑うのは顔である。図書館はその顔なのである。これが動くので笑うということが何であるかが動いて来るのである。
一万からできる公民館はやがて図書館の機能として動き、文化機構の中心的役割をもって来ることとなるであろう。四万五千と想定される学校図書館とそれが組合うことで、文化網としての組織となるであろう。それは本の購買対象としても意味をもってくる。
出版界とわが合理的協同体となるならば将来、「良書は必ず一千部は出る」という一つの基本型の文化血管を構成することができる日は遠くはあるまい。
小さい願いではあるが、この願いが実現する日がほんとうに、日本の出版界が大胆に企画をし、著者が安心して大研究に身を委ね、新鮮な文化の血が、日本民族の中を音をたてて流れはじめるときである。文化法案は、砂の上に指で一本の線を引くような細いものであっても、その砂の上をもしチョロチョロ水が流れはじめたら、その水はその砂を少しずつ流して行って、やがてゴーゴーと一つの流れとなって、その溝を自ら掘りひろげつつ大いなる大河としないとはいえないのである。
私はこの法案を決して小さな法案とは、その意味で思ってはいないのである。
底本:「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」てんびん社
1972(昭和47)年11月20日第1刷発行
1976(昭和51)年3月20日第2刷発行
初出:「法律のひろば」
1950(昭和25)年7月
入力:鈴木厚司
校正:宮元淳一
2005年6月5日作成
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