開いていることである。
 学校教育のみでなく、社会教育としての図書館が、いまだ真の意味の民衆のものとしての図書館になっていないことへの奇蹟的立ち後れへの痛感が、これらの企画となったと思われるのである。
 昨年から今年に各地におこなわれたウォークショップ(現場討論)形式の講習は新しい息吹きを人々にあたえた。もはや、図書館の大小で格は定まらなくなった。
 すでに若い図書館人は、会議の議事整理で老館長たちをしのぎはじめた。また地区図書館協議会の議題など、小さい村の図書館長のほうがその実験の材料を多くもっているのである。また小図書館司書のほうがカードの切り替えについては、実験的知識をより多くもって中央の大図書館に教えるところ多かったのである。何故ならば本が少ないからその実験に堪えうるのである。もはや、格の身分的上下はまさに転倒しはじめたのである。
 かくて、近年の図書館大会に至っては、協議会は、もはや、往年の懇親会、酒飲み会の形式を蝉脱して、委員会組織体としての構成を完成しはじめたのである。
 このたびの六十周年は、この新しい出発点としてのスタートラインにつくことを意味するかのようである。
 
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