がいまだ残っていたのである。
まだ陽明文庫が、その形をもっているように、富豪の持ち物としての静嘉堂文庫、東京文庫すらその形式を追っていたのである。
地方の中央図書館も、浅野文庫がそうであったように、それから転化したものがあったのである。
この伝統のもとにあったものは、はるかに民衆の上に聳えたち、見下し、威厳を保っていたのである。
欧州でも、この出発をもち、かの丸天井のロマネスクの教会風な威厳のコケ威しは、その残存物である。アメリカの国会図書館の旧館でも、レーニン図書館すらその残存物を残している。
この伝統を、欧米はいち早く脱して、「文庫から図書館へ」の道を一九〇〇年代に蝉脱していったのである。
日本は、それから立ち後れていったのである。協会はできていたが、会長と、図書館人との関係は、やはり大名と小名の身分関係の上に成立していたとも考えられるのである。
ちょうどそれのように、本の多く、建物の大きく、歴史の古いのが大図書館として格が上であると考えていたのである。
何ぞしらん、もし、公衆の利用の点からいうならば、この格は反対の場合もあるのである。何故ならば一度配列したら容易に
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