ったのであった。
図書館の広さと、本の量、これが図書館を形成するものでは決してないことを私たちは取り上げたのであった。カードの整備とリストの完全なものさえあれば「どこかの本」を「誰かの机」の上に伝達することはできるのである。大切なのは「本を読む」はたらき、機能《ファンクション》さえ果たされればよいのであって、本と図書室という実体《サブスタンス》そのものは必ずしも、その当体がもっていなくてもよいのである。
この議論を最初に取りあげられたのは近藤康男氏を首班とした農林省の図書機関であった。八つの研究所と、渉外課、調査局とを打って一丸とする組織の事務局として、図書課なるものが出現したのであった。「室」から「課」に移ったとき、それは実体概念から機能概念が新しく生まれ変わったのであった。そして農林省は、自分のところには室も本もなくして、ただリストの整備によって、そのころのわが館の官庁出版物を五〇パーセントは利用したのであった。
今や、アメリカのファーミントン・プランに準ずる官庁機構の大組織が、アメリカにもないかたちでできあがりつつある。三年にしてここまできて、全官庁が機能的組織で一つになっ
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング