き」(機能)としての流れである。本は省内の何処の室にあってもよい。カタローグがしっかりしており、流れ作業の組織さえ厳密に、そして巧に出来てさえいれば立派に新しい意味の図書館が、そこにその姿を現わしているのである。もはや、固定した場所を図書館というのではなくて、省の全機構を流れている研究及び調査の流れ作業全体が一つの図書館という機構となっているのである。
そして、国会図書館の国際業務部は、恰も乳房の如き役目を果たして、アメリカの農業技術の戦争中の進歩の姿、また刻一刻を争う現実の革新の姿が、農林省のあらゆる機構に向って、血管の中に流れ入る如くみなぎり、ゆきわたり、満ち溢れていったのである。
技術者の人々のその熱意、清新なる空気への爽やかな喜びは、吾々の胸にも伝わって来た。この変革はただ一つには止まらなかった。労働省が、人事院が、その後を追うていった。法務省は福島正夫氏のなみなみならぬ熱意のもとに、その姿を大きく整えていった。
出発の時に恰も、競馬場の馬の如く、馬の鼻を揃えて出発したが、十カ月の実験の結果は漸く、一馬身一馬身とその隔りを示して行くのがどうすることもできないのであった。問題は図書館の概念が、「スペース」に止まっている所と、もはや既に「機能」としての働きの考え方に移っている所との間、その根柢的構成の差異にあったのである。そのことは現代の現実の生活を支えている機構そのものが「場所的」考え方に止まることができずして、「機能的」すなわち、働きとしての考え方に移らなければ、組織自体が立ちゆかないことを示しているかのようである。
そこでは、スペースよりもより早く、ユニオンカタローグが、印刷カードが図書館組織として要求されはじめている。現実は恰も、蚕が蛹となり、更に繭となるように、「形態《モルフェ》」として自己自らを「変貌《メタモルフォーゼ》」する如く、吾々の生活自体が、歴史の中に一つの必然の変革を自ら験しつつあるかのようである。
組織が変れば吾々の心構えも変ってゆかざるを得ない。静かに精密な機械が油で美しく磨かれて音もなく動いているように、新たなる精神がそこに芽生え、新たなる美しさと喜びがそこに誕生しつつあるかのようである。
或る人々はそこに嘔吐を感ずるかもしれない機構の中に、敢えて未来の美しさを嗅ぎ出そうとする一つの挑戦が、そこでは試みられているのである。
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