る。横山大観が思いをこらして描くところの過程とは、はるかに異なっているのである。
 さらに困ることは、これを創るにあたって決して一人の天才が創るのではなくして、監督のスタッフ、カメラマンのスタッフ、装置のスタッフ、やがては映画株式会社の重役陣のスタッフのどれもが欠けることのできない創作陣のスタッフなのである。
 それらのものがうって一丸となる時、初めて、ちょうど一天才の個人的気分が緊張すると同じような、創作的雰囲気となってくるのである。創作人の単位がここではすでに集団なのである。
 かかるものは、これまでの美学では解ききれない材料である。一九一〇年代は、だからこれを非芸術だといった。一九二〇年代は、これを半芸術だといった。一九三〇年ごろからこれは芸術といわれはじめたのである。一九五〇年で芸術であることに疑いをもつ人があるならば、必ずや過去の人とよばれるにちがいない。
 しかも、大切なことは、この映画の時間は、画面と画面の移りゆく推移、カットとカットの連続で描かれているのである。言語の世界では、表象と表象をつなぐには、「である」「でない」という繋辞(コプラ)をもってつなぐのである。文学者は、この繋辞でもって、自分の意志を発表し、それを観照者に主張し、承認を求めるのである。
 ところが、映画は、このカットとカットを、繋辞をさしはさむことなくつないで、観照者の前に置きっぱなしにするのである。観照者は、自分自分勝手の、胸三寸に潜めている願いをもって、それらのカットを自分でつないで見ていくのである。たといナラタージュで作者が文句をいっても、観衆はやはり勝手に、自分の目で見たものを勝手に自分がつないで見ていくのである。
 この映画の文法に繋辞が欠けていることは、個人的芸術を守る人々からは、それをもってそれが非芸術だという根拠となるのであろう。また集団的芸術を許す人々にとっては、このことが新しい芸術としての一つの大きな特徴ともなるのであろう。
 映画が、物質の眼、レンズで見た表象を無条件に、人間のもつ表象であるとして、言語に代わるものとすることがすでに、最初の冒険である。その次は、創る人が決して個人でなく、したがって、個人の言葉でなく、集団の創作としてそれが構成されていることが、第二の冒険である。
 そしてさらに、これらの創作物を、つなぐ繋辞を失って、大衆のつなぐままに、すべての
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