し私たちが大地に結ばれていることを同時に感じなかったら、その美しさを減ずるであろう。……」(ロマン・ローラン『戦いを超えて』)
 これらの言葉を読む時、彼が生き生きとほんとうに生きていることをわれわれに伝え、われわれの眼が死んだ魚の網膜のようなもので被われて生きていること、自身を見ることをさえぎられていることに気づかしめられるのである。
 常に芸術家は、すべての人々から、魚の網膜を切りとるためにのみあるといえるのである。
 われわれは、芸術を通して奴隷性から封建性等々、歴史の濁った角膜を切りとって、この二十万年の間、人類がみずから築ききたった大いなる宇宙への問い、
「何ものかが、宇宙にある。何ものかが、人生にある。」
 と問い求めるすがすがしいまなざしを、今まさにわれわれの瞳孔にもたなければならないのである。

 映画のレンズが、人間の目に代わって物質の見かたをもって物質のフィルムに刻み込むいろいろの形は、一九五〇年において、新たな人造人間的視覚として、その特異なる角膜をもちはじめつつある。これが悪魔的なものとなるか、または神々的なものになるかは、われわれ人類のこの五十年における決意い
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