に、雪なれば雪に、土なれば土に、その各々の構成|機能《フンクチオン》に身体構成のフンクチオンが適用して、新しき型《フォーム》を構成するその構成の効果を常に感覚が測定しながら遂に極わまれる一点にまで導いてゆくその過程、そこにいわゆる「技術美」の特徴がある。そして、一つの「呼吸」の把握はいかなる愉悦にもまして甘美なる悦楽である。私はその悦楽の根拠を「内的自然の技巧」の美的反省的判断の上に求めたいと思う。その理論的根拠づけにまで溯ることは、ここではむしろ避けられるべきであろう。
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私のこれまで解釈し来りしものは、スポーツマンが疲労を感ずるまでの筋肉操作の快感である。どんなフォームであれ清らかな空気の中で胸をふくらませる快さ、湧くがごとき血液の奔騰、「生きることを感ずる」意味で、それはすでに快いであろう。それは浄澄な外的自然の中に、整った身体機能、すなわち、内的自然の完き活動を可能ならしむる意味で、それ自体として快適である。人々は疲労を感じ始むるまで、それを持続し、疲れを感ずると共に道具をまとめて帰ってゆく。
しかし、そこにある筋肉操作上の快適はスポーツにとってはむしろ静力学的な快
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