。そこに個人的自我の自由をして思惟の唯一の対象たらしめし時代がついに夢想することのできないところの新しき現象が生まれることとなる。いわば社会的集団的性格の強固なる組織化である。いわばそれは、アトミスムスとしての社会学の対象とするにはあまりにも構成的である。個人を単に抽象化されたる共通分子とし、それによって社会的集団が構成されるとせんには、すでに社会的集団的性格があまりにも類型を複雑にしすぎている。レンズ、真空管、フィルムはそれらの性格の中にあって、あたかも生理作用におけるごとくみずからを適応せしめつつある。
かくてレンズを通してフィルムに入りきたる光も、またレンズを通して発する傾かざる太陽としての電流の光も、それみずから集団的構成としての見る意味[#「見る意味」に傍点]の発展である。
集団の内面の視覚である。レンズの構成の背後に幾千の集団構成、電流の背後の幾多の集団構成、フィルムの背後のそれ、それらのものが光の中にそれみずからの情趣を投げる。
かかることを頭において顧みる時、イギリスのシナリオ陣の思いきった実験『暁の電撃戦』([#ここから横組み]The Western Approaches”[#ここで横組み終わり])は再検討さるべきである。
「委員会」が思索にかわり、モールスが囁きであり、船団と、艦隊が、青い青い海の中で描く運命は、新たなテーマであり、しかも、日本劇場のレコードとなる大衆を集める吸引力をもっていた。レンズとフィルムが、自由にその性格をのばしているかに見えたのである。(かつて論じ、また常に論じているテーマではあるが。)
底本:「生きている空間――主体的映画芸術論――」てんびん社
1971(昭和46)年12月7日第1刷発行
1976(昭和51)年12月15日第6刷発行
初出:「シナリオ」
1950(昭和25)年11月号
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2010年3月13日作成
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