来の断片、構成の一要素である。実験されつつある組織の一エレメントであり、その見えざる網の一紐結として、その一コマは喜びを運んでいる。
 かつて画家は、その一コマの完成に一人格を投げつけた。今は、その一コマをレンズに託して、そこより出発し、人格が組織の構成体、一つのオルガンとなったように、一コマそれ自身が全組織の一要素となっている。キノキイのもつ喜悦は、このオルガナイズの情趣の上に在る。映画が絵画を引きはなすのはこの一点にある。一つは個性とカンヴァスであるに反して、他は個人がすでにその中に没入した性格と組織である。
 映画の製作の過程が集団的であるのみならず、その形式そのものがすでに集団的である。
 その過程とはその社会的集団的性格を意味する。そして、形式とは、その機械性とそれに加わる人間性との複合を意味する。換言すればいわばそれは、物理的集団的性格である。
 レンズとフィルムと現像液ならびにそれを涵す光、それらのものの前に人の見る意味はかぎりない急転回と、躍進と、測りしれざる未来をもっている。それこそ物理的集団的性格の刺すような、時のかなたへの遠き視線を意味する。
 われわれが、回転す
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