できない。トーキーが初めて表現できるかもしれないところの歴史の深い内面の暴露なのである。
それはすでに歴史的集団的歩みのもつ反復性である。そこではボートにおけるように記録的報告と、それについでなされる企画的実験、それらのものが数学的機能的目算と、存在論的付託的目標によって繰り返さるるのである。常にそこでは、清算と企画、過去と未来が一つの実験性をもってそのテンポの中に混入する。それは単に機械的ではなく、また個人的でもなく、まったく集団的である。そして、単なる蓋然性にたよるものでもなく、また偶然性でもなく、必然性に向っての戦端である。
それは来たるべき時代の歴史的形態においてすでにそうである。あらゆる計画は常にかかる記録的カーヴのリズムに向って厳粛であるはずである。
それがはかりしれないのは、人間の無知、すなわち機能的凾数の計算の不正確と、付託的目標の見透しの不明のゆえである。記録と企画が、そのすべてを乗り越えるはずである。そして人間が何であるかを学び問い[#「人間が何であるかを学び問い」に傍点]、会得[#「会得」に傍点]していくのである。かかる喘ぎにおける呼吸が、人間なる無限なるア
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