ションの一つの姿としてあらわれる。存在論的リズムの解釈はその様式と共にかかる一点に凝集する。その美しさはその様式の美しさであり、その醜さはその様式の醜さである。リズムならびに韻律はかかる文化形態においては、かかる様式のもとに構造をもつ。そこでは自然と肉体現象の反復を邂逅のもつ美しさ[#「邂逅のもつ美しさ」に傍点]として理解する。宇宙的さまよいの、永遠の虚無の中に、二つのものが同一であることのもつ欣び、その偶然[#「偶然」に傍点]のもつ輝かしさ、瞬間[#「瞬間」に傍点]のもつおごそかさ、他のものでなくそれが自分[#「自分」に傍点]であることの尊さ、そこに韻律とリズムのもつ美しさがあるのである。自分で自分を求めてさまようそのさまよいの中にようやくみずからにめぐりあうことのできた悦び。そこに、時の再びの邂逅としてのリズムの本質を見いだそうとする。かくて永劫回帰こそ、真のいっとう大きな韻律となる。かかる存在への戯れをこそ、仮象存在《パラエクジステンツ》としてのリズムの現象として私たちはもつといえよう。念々に発見されゆく発見的存在としてリズムはその意味をもつのである。
しかし、かかるすべてのも
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