、本としてよりも、紙として売る方が値がよいと専門家はいっている。本を読む、学を求めるものとしての日本民族のこころ根が、もはや良書をよむ力を失って、かかる良書を、硫酸でとかして、エロ本の材料としてしまうことを経済的構造をもってゆるすという段階に立至った。日本民族の教養の方向が、歴史以来初めての、大衆によって「焚書時代」の出現に向ったともいえるのである。始皇帝でもなく、ヒットラーでもなく、民族の教養低下が、大衆自らの文化遺産を硫酸で焼くという時代を生み出しているのである。立法的資料そのものが、法の運用のあやまりによって亡びようとする段階に、今、日本民族は立至っているのである。
 本館は、かかる民族的危機の中に、乏しい予算をなげ打って、これを支えようとしており、しかもそれを支えるべく、法そのものがわれらにその任務を課している。
 国立国会図書館は、そのへき頭に「真理がわれらを自由にするという確信に立って、……」と叫んでいる。その言葉を空しくしないことをわれわれは日夜希いつつ、その建設の苦しみを闘っているのである。



底本:「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」てんびん社
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