vに傍点]多くの労賃を支払い、また帽子と靴下と靴との価格がこの製造業者に一〇|磅《ポンド》を償うに足る額だけ騰貴したと仮定しても、彼らの境遇はかかる騰貴が何ら起らなかった場合よりもより[#「より」に傍点]よいことは少しもないであろう。もしこの靴下製造業者が、彼れの靴下を一〇〇|磅《ポンド》ではなく一一〇|磅《ポンド》で売ったとしても彼れの利潤は以前と正確に同一の貨幣額であろう。しかしながら彼はこの等しい額と交換に帽子や靴やその他のあらゆる貨物の十分の一だけより[#「より」に傍点]少い量を得、そして彼れの以前の貯蓄額をもっては騰貴せる労賃でより[#「より」に傍点]少い労働者しか用い得ずまた騰貴せる価格でより[#「より」に傍点]少い粗生原料品しか購買し得ないのであるから、彼はその貨幣利潤が実際額において減少し、そしてあらゆる物がその以前に留まっている場合よりもより[#「より」に傍点]よい境遇にはいないであろう。かくて私は、第一に労賃の騰貴は貨物の価格を騰貴せしめないであろうが、しかし常に利潤を下落せしめるであろうということ、及び第二に、もしすべての貨物の価格が騰貴せしめられ得るとしても、しかも利潤に対する影響は同一であろうし、そして事実上、価格及び利潤を測定する媒介物の価値のみが下落せしめられるであろう、ということを、示さんと努めたのである。
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第七章 外国貿易について
(四六)いかなる外国貿易の拡張も、それは極めて有力に貨物量従って享楽品の数量を増加するに寄与するとはいえ、直ちに一国の価値額を増加することはないであろう(編者註)。すべての外国財貨の価値は、それと交換に与えられる我国の土地と労働との生産量の分量によって測られるのであるから、もし新市場の発見によって吾々が我国の財貨の一定量と交換して外国財貨の二倍の量を獲得するとしても、吾々は決してより[#「より」に傍点]大なる価値を有たないであろう。もし一、〇〇〇|磅《ポンド》に当る英国財貨の販売によって、一商人が、英国市場において一、二〇〇|磅《ポンド》で売ることが出来る外国財貨のある分量を獲得することが出来たとするならば、彼はその資本をかくの如く用いることによって二〇%の利潤を得るであろう。しかし彼れの利得にしろまたは輸入貨物の価値にしろ、取得される外国財貨の量が大なるか小なるかによって増減はされはしないであろう。例えば彼が二十五樽の葡萄酒を輸入しようとまたは五十樽を輸入しようと、もしある時には二十五樽が、また他の時には五十樽が、等しく一、二〇〇|磅《ポンド》で売れるとしても、彼れの利益は何らの影響も蒙り得ないであろう。そのいずれの場合においても、同一の価値が英国に輸入されるであろう。もし五十樽が一、二〇〇|磅《ポンド》以上に売れるならば、この商人個人の利潤は一般利潤率を超過するであろう、そして資本は当然にこの有利な事業に流入し、ついに葡萄酒の価格の下落が万事を以前の水準にまで齎すことであろう。
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(編者註)この区別を十分に理解するためには、第二十章を参照せよ。
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実に、外国貿易において特定商人が時に上げる大なる利潤は、その国における一般利潤率を高め、そして新しいかつ有利な外国貿易に携わるために資本を他の職業から引去ることは、一般に価格を高めかつそれによって利潤を増加するであろう、と主張され来っている。有力な権威者によって、より[#「より」に傍点]少い資本が、穀物の栽培に、毛織布、帽子、靴、等の製造に、必然的に向けられているならば、需要が引続き同一である間は、これらの貨物の価格は、農業者、帽子製造業者、織布業者、及び靴製造業者が外国商人と同様に利潤の増加を受けるに至るように、増加されるであろう、と云われている(註)。
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(註)アダム・スミス、第一篇、第九章を見よ(訳者註――キャナン版第一巻九五頁)。
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この議論を主張している者は、種々なる職業の利潤は相互に一致せんとする傾向があり、相共に増減する傾向がある、ということでは、私の云う所に一致する。吾々の相違点は次の一点に存する、すなわち彼らは、利潤の平等は利潤の一般的騰貴によって齎されるであろうと主張し、そして私は、有利な事業の利潤は急速に一般的水準に下降するであろうという意見なのである。
けだし第一に、私は、穀物の栽培に、毛織布、帽子、靴等の製造に、それらの貨物に対する需要が減少しない限り――そしてもし減少するならばその価格は騰貴しないであろう、――より[#「より」に傍点]少い資本が必然的に向けられるに至るべきことを、否定するからである。外国貨物の購買において、英国の土地及び労働の生産物の、同一の、より[#「より」に傍点]大なる、またはより[#「より」に傍点]小なる部分が、用いられるであろう。もし同一の分量がそれに用いられるならば、毛織布や靴や穀物や帽子に対しては以前と同一の需要が存在し、そして同一の資本部分がその生産に向けられるであろう。もし、外国貨物の価格がより[#「より」に傍点]低廉である結果として、英国の土地及び労働の年々の生産物より[#「より」に傍点]小なる部分が外国貨物の購買に当って用いられるならば、他の物の購買に対してはより[#「より」に傍点]多くが残るであろう。もし帽子、靴、穀物、等に対して以前よりもより[#「より」に傍点]大なる需要があるならば、――これは、外国貨物の消費者は彼らの自由に処分し得る収入の附加的部分を有つのであるから、あり得ることであろう、――それをもってより[#「より」に傍点]大なる価値の外国貨物が以前購買された所の資本もまた自由に処分し得ることとなる。従って穀物、靴、等に対する需要の増加と共に、供給の増加を達する手段もまた存在し、従って価格も利潤も永続的に騰貴することは出来ない。もし英国の土地及び労働の生産物のより[#「より」に傍点]多くが外国貨物の購買に用いられるならば、より[#「より」に傍点]少い額が他の物の購買に用いられ得るに過ぎず、従ってより[#「より」に傍点]少い帽子、靴、等が必要とされるであろう。資本が靴、帽子、等の生産から解放されると同時に、より[#「より」に傍点]多くが、それで外国貨物が購買される貨物の製造に用いられなければならない。従ってあらゆる場合において、外国及び内国の貨物に対する需要の合計は、価値に関する限りにおいて、国の収入及び資本によって限定される。もし一方が増加すれば他方は減少しなければならぬ。もし英国貨物の同一量と交換して輸入される葡萄酒の量が倍加されるならば、英国人は、彼らが以前に消費した二倍の量の葡萄酒を消費し得るか、または葡萄酒の同一量と英国貨物のより[#「より」に傍点]大なる分量とを消費し得る。もし私の収入が一、〇〇〇|磅《ポンド》であり、それをもって私が年々一〇〇|磅《ポンド》で葡萄酒一樽を、そして九〇〇|磅《ポンド》で一定量の英国貨物を購買していたとするならば、葡萄酒が一樽につき五〇|磅《ポンド》に下落した時には、私は支出しなかった五〇|磅《ポンド》を、もう一樽の葡萄酒の購買に支出するかまたはより[#「より」に傍点]多くの英国貨物の購買に支出するであろう。もし私がより[#「より」に傍点]多くの葡萄酒を購買し、かつあらゆる葡萄酒飲用者が同様にしたならば、外国貿易は少しも乱されないであろう。英国貨物の同一分量が葡萄酒と交換に輸出され、そして吾々は葡萄酒の二倍の価値ではないが二倍の分量を受取るであろう。しかしもし私と他の者とが、以前と同一量の葡萄酒で満足するならば、より[#「より」に傍点]少い英国貨物が輸出され、そして葡萄酒飲用者は、以前に輸出されていた貨物を消費するか、または彼らが嗜好を有つある他のものを消費するであろう。その生産に必要とされる資本は、外国貿易から解放された資本によって供給されるであろう。
資本が蓄積される方法には、二つある、すなわち、それは収入の増加の結果として、または消費の減少の結果として貯蓄され得よう。もし私の利潤が一、〇〇〇|磅《ポンド》から一、二〇〇|磅《ポンド》に引上げられたが、私の支出は引続き同一であるならば、私は以前になしたよりも年々二〇〇|磅《ポンド》だけより[#「より」に傍点]多く蓄積する、もし私が二〇〇|磅《ポンド》を私の支出から節約するが、私の利潤は引続き同一であるならば、同一の結果が生み出され、すなわち一年につき二〇〇|磅《ポンド》が私の資本に附加されるであろう。利潤が二〇%から四〇%に騰貴した後に葡萄酒を輸入した商人は、一、〇〇〇|磅《ポンド》で彼れの英国財貨を購買せずして八五七|磅《ポンド》二シリング一〇ペンスで購買しなければならぬが、これらの財貨と交換に輸入する葡萄酒は依然一、二〇〇|磅《ポンド》で売っているのである。またはもし彼が引続きその英国財貨を一、〇〇〇|磅《ポンド》で購買するならば彼れの葡萄酒の価格を一、四〇〇|磅《ポンド》に引上げなければならない。彼はかくてその資本に対して二〇%ではなく四〇%の利潤を取得するであろう。もし、それに彼れの収入が費されるすべての貨物が低廉である結果、彼及びすべての他の消費者が、以前に費した一、〇〇〇|磅《ポンド》ごとに二〇〇|磅《ポンド》の価値を節約し得るならば、彼らは国の真実の富をより[#「より」に傍点]有効に増加するであろう。一方の場合においては貯蓄は収入の増加の結果なされたものであり、他方の場合において支出の減少の結果なされたものであろう。
もし機械の導入により、収入がそれに費される貨物の大部分が価値において二〇%下落するならば、私は、私の収入が二〇%だけ増加したと同様に有効に貯蓄し得るであろう。しかし一方の場合においては利潤率は静止的であり、他方の場合においてはそれは二〇%騰貴せしめられているのである――もし低廉な外国財貨の導入により、私が二〇%だけ私の支出から節約し得るならば、その結果は、機会がその生産費を引下げた場合と正確に同一であろうが、しかし利潤は騰貴しないであろう。
従って、利潤率が騰貴するのは市場の拡張の結果ではない、たとえかかる拡張は貨物量を増加するには等しく有効であり、かつそれによって、吾々をして、労働の維持に向けられる基金、及びそれに労働が用いられる原料を増加し得しめるであろうとはいえ。吾々の享楽品が、労働のより良き分配により、また各国がその位置やその気候やその他の自然的なまたは人工的な利便のためにその生産に適当する貨物を生産することにより、かつそれを各国が他国の貨物と交換することにより、増加されることは、この享楽品が利潤率の騰貴によって増加されるのと同様に、人類の幸福にとり重要なことである。
利潤率は労賃の下落によってにあらずんば決して騰貴し得ず、かつそれに労賃が費される必要品の下落の結果としてにあらずんば労賃の永続的下落はあり得ないということを、本書全巻を通じて証明しようというのが、私の努力であった。従ってもし、外国貿易の拡張によりまたは機械の改良によって、労働者の食物及び必要品が低減せる価格で市場に齎され得るならば、利潤は騰貴するであろう。もし、吾々自身の穀物を栽培しまたは労働者の衣服その他の必要品を製造する代りに、吾々が、そこからより[#「より」に傍点]低廉な価格でそれを得ることの出来る新市場を発見するならば、労賃は下落しそして利潤は騰貴するであろう。しかしもし、外国商業の拡張によりまたは機械の改良によって、より[#「より」に傍点]低廉な率で取得される貨物が、もっぱら富者によって消費される貨物であるならば、利潤率には何らの変動も起らないであろう。葡萄酒や天鵞絨《ビロード》や絹やその他の高価な貨物が五〇%下落しても、労賃率は影響を受けず、従って利潤は引続き変動しないであろう。
かくて外国貿易は、それに収入が費される物の分量と種類とを増加し、そして貨物の豊富と低廉とに
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