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(註)この題目に関し、一七九六年以来下院において表明された知識の進歩は、救貧法に関する委員会の最近の報告と、一七九六年におけるピット氏の次の如き意見とを、対照することによって見られる如く、幸にして少からざるものがあった。
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彼は曰く、『恥辱と軽蔑との理由ではなくして、正義と名誉との事柄たる、子だくさんの場合に、救済をしよう。このことは、大家族を呪詛たらしめずして祝福たらしめるであろう。そしてこのことは、自らの労働によって自らを養いうる人々と、多くの子供でその国を富ましめた後に生活維持に対する国家の援助を請求し得る人々との間に、適当な分界線を劃するであろう。』ハンサアド議会史、第三二巻、七一〇頁。
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この害悪の性質が救治法を指示している。救貧法の範囲を漸次に縮小することによって、貧民に独立なる者の価値を印象づけることによって、彼らに、生活のためには組織的のまたは偶然の慈善に頼らずに彼ら自身の努力に頼らねばならぬこと、また慎慮と先見とは不必要な徳性でもなければ不利益な徳性でもないことを、教えることによって、吾々は順次により[#「より」に傍点]健全なより[#「より」に傍点]健康的な状態に接近するであろう。
救貧法の廃止をその終極目的としない救貧法修正案は、全然注意に値しない。そしていかにしてこの目的が最も安全にかつ同時に最少の暴力をもって達せられ得るかを指示し得る者こそが、貧民に対しかつ人道に対する最良の友である。害悪が軽減され得るのは、現在と異る方法で貧民が支持される基金を、徴収することによってではない。それは、啻に改良ではないのみならず、もしこの基金の額が増加せしめられるかまたはある最近の提議によってこの国全般から一般基金として賦課されるならば、吾々が除去されんことを望む所の災害の加重であろう。現在のその徴収方法及び使用方法は、その有害な結果を軽減するに役立って来た。各教区はそれ自身の貧民の支持のために別々の基金を徴収している。従って一般基金が全王国の貧民救済のために徴収される場合よりも、税金を低くしておくことがより[#「より」に傍点]有利でありかつより[#「より」に傍点]行いやすいこととなっている。一教区は、数百の他の教区がそれに参加している場合よりもはるかに、この税金の経済的な徴収をより[#「より」に傍点]利益あることとし、かつ節約の全部がそれ自身の利益になるであろうから救助を少ししか分配しないことをより[#「より」に傍点]利益あることとしているのである。
吾々は、救貧法が未だこの国の全純収入を吸収してしまっていないという事実を、この原因に帰しなければならぬ。それが驚くべく圧制的になっていないことの理由は、その適用が厳正であることにある。もし法律によって、生計に困っているあらゆる者に確実に生計を得しめ、しかも生活を相当に愉楽ならしめる程度に生計を得しめることが出来るならば、理論は吾々を導いて、他の租税を全部合せてもこの救貧税という単一の租税と比較して軽微なものであろうと、期待せしめるであろう。かかる法律が、富と力とを貧と弱とに変え、労働の努力を単なる生活資料供給の目的以外のあらゆる目的から引離し、すべての知的優越を無にし、精神を絶えず肉体的欲求物の供給に忙殺せしめ、ついに一切の階級を一般的貧困という悪疫にかからせる、という傾向のあることは、重力の原理と同様に確実である。幸にしてかかる法律は、労働維持のための基金が規則正しく増加し、かつ人口の増加が自然的に必要とされた所の、進歩的繁栄期に、行われ来った。しかしもし吾々の進歩がより[#「より」に傍点]遅くなるならば、もし吾々が静止的状態――吾々はかかる状態からはなお未だ遠く隔っていると私は信ずるが――に達するならば、その時にこの法律の有害な性質はより[#「より」に傍点]明かにかつ脅威的になり、またその時にはこの法律の廃止は多くのより[#「より」に傍点]以上の困難によって妨害されるであろう。
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第六章 利潤について
(四二)資本の利潤は、種々なる職業において、相互に一つの比例を保ち、かつすべて同一の程度にかつ同一の方向に変動する傾向を有つことが、説明されたから、利潤率の永続的変動、及びそれに従って起る利子率における永続的変動の原因は何であるか、を考察することが、吾々にとって残っていることになる。
吾々は、穀物の価格(註)が資本のうち地代を何ら支払わない部分をもってそれを生産するに必要な労働量、によって左右されることを、見た。吾々はまた、すべての製造貨物は、その生産に必要となる労働の大小に比例して、価格において騰落することも、見た。価格を左右する質(訳者註)の土地を耕作する農業者も財貨を製造する製造業者も、生産物の何らの部分をも地代として犠牲にしない。彼らの貨物の全価値は単に二つの部分に分たれるに過ぎない、すなわちその一は資本の利潤を成し、他は労働の労賃を成すのである。
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(註)読者は、この主題をより[#「より」に傍点]明かならしめんがために、私が、貨幣をもって価値において不変なものと看做し、従って価格のあらゆる変動は貨物の価値における変動に帰せらるべきものと看做していることを、記憶せられんことを乞う。
(訳者註)『地質なる語は、原本第一版及び第二版の quality の訳語であるが、原本第三版には、これが quantity となっている。』――堀經夫博士訳書、一一〇頁。
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穀物及び製造財貨が常に同一の価格で売れると仮定すれば、利潤は、労賃が低いか高いかに比例して高くあるいは低いであろう。しかし穀物が、それを生産するにより[#「より」に傍点]多くの労働が必要であるために、価格において騰貴したと仮定せよ。この原因は、その生産において何ら附加的労働量も必要とされない所の製造財貨の価格を騰貴せしめないであろう。しからば、もし労賃が引続き同一であるならば、製造業者の利潤は依然として同一であろう。しかし、もし労賃が穀物の騰貴と共に騰貴するならば、――このことは絶対に確実であるが――彼らの利潤は必然的に下落するであろう。
もし、製造業者が常に彼れの財貨を同一の貨幣額、例えば一、〇〇〇|磅《ポンド》に対して、売るとするならば、彼れの利潤はそれらの財貨を製造するに必要な労働の価格に依存するであろう。彼が六〇〇|磅《ポンド》を支払うに過ぎなかった時よりも、労賃が八〇〇|磅《ポンド》に達した時の方が、彼れの利潤はより[#「より」に傍点]少いであろう。かくて労賃が騰貴するに比例して、利潤は下落するであろう。しかしもし粗生生産物の価格が騰貴するならば、農業者は労賃として追加額を支払わなければならなくとも、少くとも同一の利潤率を得ないであろうか? と問われるかもしれない。確かにそれは得られない、けだし彼は啻に製造業者と共に、彼が雇傭する各労働者に労賃の増加を支払わなければならないであろうのみならず、更に彼は地代を支払うか、または同一生産物を獲得するために労働者の附加数を雇傭するのいずれかを余儀なくされるであろうし、また粗生生産物の価格における騰貴は、この地代またはこの附加数に比例するに過ぎぬものであって、従って労賃の騰貴に対して彼に償いをしないであろうからである。
もし製造業者及び農業者の両者が十名の人間を用いるとすれば、労賃が一人当り一年間二四|磅《ポンド》から二五|磅《ポンド》に騰貴する場合には、その各々によって支払われる全額は二四〇|磅《ポンド》ではなく二五〇|磅《ポンド》であろう。しかしながら、これが製造業者が同一分量の貨物を得るために支払うであろう所の附加の全部である。しかし新しい土地における農業者はおそらく、一名の附加的労働者を使用し、従って労賃として二五|磅《ポンド》の附加額を支払うを余儀なくされるであろう。そして旧い土地における農業者は地代として二五|磅《ポンド》という正確に同一の附加額の支払を余儀なくされるであろう。この附加的労働がなければ、穀物も騰貴しなかったであろうし、また地代も増加しなかったであろう。従って一方は労賃のためのみに二七五|磅《ポンド》を支払わなければならず、他方は労賃と地代との合計のためにこの額を支払わなければならないであろう。各々は製造業者よりも二五|磅《ポンド》だけより[#「より」に傍点]多く支払わなければならない。この後の二五|磅《ポンド》を、農業者は粗生生産物の価格の附加によって償われ、従って彼れの利潤はなお製造業者の利潤と一致する。この命題は重要であるから、私はなお更に、その説明に努めるであろう。
吾々は既に、社会の初期においては、土地生産物の価値[#「価値」に傍点]に対する地主及び労働者の両方の分前は僅少に過ぎないであろうし、かつそれは富の増進及び食物獲得の困難に比例して増加するであろうということを、証明した。吾々はまた、労働者の収得する価値は食物の高い価値によって増加されるであろうけれども、彼れの真実の分前は減少するであろうが、しかるに地主のそれは啻に価値において増加されるばかりでなく、更に分量においても増加されるであろう、ということを証明した。
地主及び労働者が支払を受けた後に残る土地の生産物の残りの分量は、必然的に農業者に帰属し、そして彼れの資本の利潤をなすものである。しかし、社会が進歩するにつれ全生産物に対する彼れの分前は減少するであろうけれども、しかもそれは価値において騰貴するであろうから、地主及び労働者と同様に彼もまた、それにもかかわらず、より[#「より」に傍点]多くの価値を受けるであろう、と主張されるかもしれない。
例えば、穀物が四|磅《ポンド》から一〇|磅《ポンド》に騰貴した時には、最良の土地から得られる一八〇クヲタアは七二〇|磅《ポンド》ではなく、一、八〇〇|磅《ポンド》で売れ、従って地主及び労働者は地代及び労賃としてより[#「より」に傍点]多くの価値を得るということが証明されたとしても、しかも農業者の利潤の価値もまた増大されるであろう、といわれるかもしれない。しかしながらかかることは、私がいま次に説明を試みる如く、不可能なことである。
第一に、穀物の価格はただ、より[#「より」に傍点]劣等な品質の土地においてそれを栽培する困難の増加に比例して騰貴するに過ぎないであろう。
次のことは既に述べた所である、すなわち、もし十名の人間の労働が、一定の品質の土地において、一八〇クヲタアの小麦を獲得し、その価値が一クヲタアにつき四|磅《ポンド》、すなわち七二〇|磅《ポンド》であるとし、かつもし十名の附加された人間の労働が同一のまたはある他の土地において、更に加うるに一七〇クヲタアを生産するに過ぎないならば、170:180:£4:£4 4s. 8d. であるから小麦は四|磅《ポンド》から四|磅《ポンド》四シリング八ペンス(編者註)に騰貴するであろう。換言すれば、一七〇クヲタアの生産に対して、一方の場合には十名の人間の労働が必要であり、そして他方の場合には九・四四名のそれが必要であるに過ぎないから、騰貴は九・四四対一〇であり、または四|磅《ポンド》対四|磅《ポンド》四シリング八ペンスであろう。同様にして、もし十名の附加された人間の労働が一六〇クヲタアを生産するに過ぎなければ、価格は更に四|磅《ポンド》一〇シリングに騰貴するであろうし、一五〇クヲタアならば、四|磅《ポンド》一六シリングに騰貴するであろう、等々、ということが証明され得よう。
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(編者註)概算すれば四|磅《ポンド》四シリング八ペンス[#「ペンス」は底本では「ペニス」]二分の一により[#「より」に傍点]近い。
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しかし、地代を支払わない土地において一八〇クヲタアが生産され、かつその価格が一クヲタアについて四|磅《ポンド
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