を論ずる際に既にこの問題に関する私見を述べた、そしてここで更に私が附加せねばならぬことは、単に、地代は私が解する意味での価値の創造であるが富の創造ではない、ということだけである。もし穀価が、そのある部分を生産するの困難によって、一クヲタアにつき四|磅《ポンド》から五|磅《ポンド》に騰貴するならば、百万クヲタアは四、〇〇〇、〇〇〇|磅《ポンド》ではなく五、〇〇〇、〇〇〇|磅《ポンド》の価値を有ち、そしてこの穀価は、啻により[#「より」に傍点]多くの貨幣と交換されるのみならず、またより[#「より」に傍点]多くのあらゆる他の貨物と交換されるであろうから、所有者はより[#「より」に傍点]多額の価値を得るであろう。そしてその結果として他の何人もより[#「より」に傍点]少い価値を有つことにはならないから、社会は全体としてより[#「より」に傍点]多くの価値を有するに至るのであり、そしてその意味において地代は価値の創造である。しかしこの価値は、それが社会の富、すなわち必要品、便宜品、及び享楽品に何物をも附加しない限りにおいて、名目的である。吾々は以前とまさに同一量の貨物を有ち――そしてより[#「より」
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