私がはじめて経済学の諸問題に注意を向けてより以来、私の意見は、労働を節約するという結果を有つ如き、生産部門への機械の採用は、一般的福祉であり、単に多くの場合に資本及び労働を一職業から他の職業に移動することに伴う不都合を随伴するに過ぎない、というにあった。地主が同一の貨幣地代を得る限り、彼らは、かかる地代を費して得る貨物のあるものの価格の下落によって利得し、そしてこの価格の下落は、必ずや機械の使用の結果でなければならないように、私には思われた。資本家もまた思うに、結局正確に同様にして利得するものであった。もちろん機械の発明をなし、また最初にそれを有用に用いた人は、一時多額の利潤を得ることによって、その上に利益を享受するであろう。しかし、機械が一般に使用されるようになるにつれて、生産された貨物の価格は、競争の影響により、その生産費にまで下落し、その時には資本家は以前と同一の貨幣利潤を得、そして、彼は、同一の貨幣収入をもってより[#「より」に傍点]多量の愉楽品及び享楽品を支配し得せしめられるために、一消費者として、単に一般的便益に参加するに過ぎないであろう。労働者階級もまた、機械の使用
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