配されるであろう、――それは常に、同一の土地かまたは異る質の土地において、等量の資本をもって得られる生産物量の差違に等しく、従って、同一の質の土地が耕作されその相対的肥沃度または相対的便益に何らの変動も起らない間は、地代は総生産物に対して常に同一の比例を保つであろう。
しかしながらアダム・スミスは、地主に帰する比例は生産費の減少によって増加し、従って地主の得る所は貧弱な生産物の場合よりも豊富な生産物の場合の方が、分量もより[#「より」に傍点]大であり割合もより[#「より」に傍点]大であろう、と主張している。彼は曰く、『米田は最も肥沃な麦畑よりも遥かにより[#「より」に傍点]多量の食物を生産する。毎年各々三十ブッシェルないし六十ブッシェルの二毛作が、一エーカアの通常の生産物であると云われている。従ってその耕作はより[#「より」に傍点]多くの労働を必要とするけれども、遥かにより[#「より」に傍点]多くの剰余がそのすべての労働を維持した後に残る。従って人々の普通のかつ愛好の植物性食物でありかつ耕作者達が主としてそれをもって維持されている所の米の産国においては、麦産国におけるよりも[#「麦産国におけるよりも」に傍点]、このより大なる剰余のより大なる分前が地主に帰属するはずである[#「このより大なる剰余のより大なる分前が地主に帰属するはずである」に傍点]。』
ビウキャナン氏も述べている、『麦よりも豊富に産出する何らかの他の生産物が人民の一般の食物となるとすれば、それが豊富になるに比例して地主の地代が増加すべきことは全く明かである。』
もし馬鈴薯が人民の一般の食物となるとすれば、地主は長い間地代の減少によって悩むであろう。彼らはおそらく現在受領しているだけの人間の生活資料を受領しないであろうが、他方その生活資料はその現在価値の三分の一に下落するであろう。しかし地主の地代の一部分がそれに費されるすべての製造貨物は、その原料たる粗生原料品の下落と、その時にその生産に当てらるべき土地の肥沃度の増加のみとから起る所の下落以外の下落を蒙らないであろう。
人口の増加よりして以前と同一の質の土地が耕作されるに至る時は、地主は啻に以前と同一比例の生産物を取得するばかりでなく更にそれはまた以前と同一の価値を有つであろう。かくて地代は以前と同一であろうが、しかしながら利潤は、食物の価格従っ
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