。もちろん他の箇所においてはアダム・スミスはそう述べている、けだし彼は曰く、『ある長い期間に石炭が売られ得る最低の価格は、他のすべての貨物と同様に、その通常利潤と共に、石炭を市場に齎すに用いられねばならぬ資本を辛うじて囘収するに足る価格である。地主が何らの地代を得ず、彼が自分で採掘するか、それを全然放置しておく他ない炭坑においては、炭価は一般にほぼこの価格に近接していなければならない。』
(一一六)しかし、同一の事情、すなわちいかなる原因から起るにしろ、何らの地代もなくまたは極めて僅少な地代しかない鉱山を抛棄せざるを得ざらしめる所の、石炭の豊富及びその結果たる低廉はもし粗生生産物が同じく豊富でありかつその結果として低廉であるならば、何らの地代もなくまたは極めて僅少な地代しかない土地の耕作を抛棄せざるを得ざらしめるであろう。例えばもし馬鈴薯が人民の一般のかつ普通の食物となるならば、――米がある国においてはそうである如くに――今日耕作されている土地の四分の一または二分の一はおそらく直ちに抛棄されるであろう。けだしもし、アダム・スミスの言う如くに、『一エーカアの馬鈴薯は固形食物六千|封度《ポンド》すなわち一エーカアの小麦畑によって生産される分量の三倍を生産する』ならば、以前に小麦の耕作に用いられた土地において収穫され得た分量を消費するほどの人民の増加は、極めて長い間起り得ないからである。従って多くの土地は抛棄され地代は下落するであろう。そして同一分量の土地が耕作されそれに対して支払われる地代が以前の高さになり得るには、人口が二倍となりまたは三倍となることを要するであろう。
総生産物が、三百人を養うべき馬鈴薯から成ろうと単に百人を養うに過ぎない小麦から成ろうと、そのあるより[#「より」に傍点]大なる比例が地主に支払われることはないであろう。けだしもし労働者の労賃が主として馬鈴薯の価格によって左右され小麦の価格によっては左右されないならば、生産費は大いに減少され従って労働者に支払った後の全総生産物の比例は大いに増加するであろうけれども、しかもその附加的比例のいかなる部分も地代とはならず、全体が常に利潤となるからである、――常に労賃が下落するにつれて騰貴しかつそれが騰貴するにつれて下落するのであろうから。小麦が耕作されようと、馬鈴薯が耕作されようと、地代は同一の原理によって支
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