驍ナあろう、すなわち生産物の一定の附加量を得るためにより[#「より」に傍点]以上の労働と資本とを用いることが必要である結果として穀価がいかに騰貴しようとも、かかる騰貴は、附加的地代により、あるいは用いられる附加的労働により、価値において常に相殺されてしまうであろうから、従って、穀物が四|磅《ポンド》に売れても四|磅《ポンド》一〇シリングに売れてもまたは五|磅《ポンド》二シリング一〇ペンスに売れても、農業者は、地代を支払った後彼れの手に残るものとしては、同一の真実価値を得るであろう。かくて吾々は、農業者に帰属する生産物が一八〇クヲタアであっても一七〇クヲタアであっても一六〇クヲタアであってもまたは一五〇クヲタアであっても、彼はそれに対し常に七二〇|磅《ポンド》という同一額を得ることを知るが、それは価格が分量に反比例して騰貴するからである。
 かくて地代は、思うに、常に消費者の負担となり決して農業者の負担にはならない、けだしもし彼れの農場の生産物が一様に一八〇クヲタアであるならば、価格の騰貴と共に、彼は自分自身に対しより[#「より」に傍点]少い分量の価値を保有し、彼れの地主にはより[#「より」に傍点]大なる分量の価値を与えるけれども、しかしこの控除は彼に常に七二〇|磅《ポンド》という同一額を残すように行われるからである。
 すべての場合において、七二〇|磅《ポンド》という同一額が労賃と利潤とに分割されなければならぬこともまた、わかるであろう。もし土地からの粗生生産物の価値がこの価値を超過するならば、その額が幾何《いくばく》であろうと、それは地代に属する。もし何ら超過がないならば、地代はないであろう。労賃または利潤が騰貴しようと下落しようと、この両者が与えられなければならない原本はこの七二〇|磅《ポンド》という額である。一方において利潤は労働者に絶対必要品を与えるに十分な額が残されないくらいにこの七二〇|磅《ポンド》の中の多くを吸収してしまうほど騰貴することは出来ない。他方において労賃は、この額のうち利潤には何物も残さないというほどに騰貴することは出来ない。
 かくて、あらゆる場合において、農業利潤並びに製造業利潤は、粗生生産物の価格の騰貴――もしそれが労賃の騰貴を伴うならば、――によって低下せしめられる(註)。もし農業者が、地代を支払った後彼れの手に残る穀物に対し何らの
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