P5日に來朝せられたのであつた.
 それから5月19日に長崎から上海に向けて出帆せられる迄,約1箇月餘の滯在の間に12囘の講演と4囘の討論とを行ひ,その上に10囘に近い餐會に出席して寸暇もない忙しい日を送られたのであつた.これ等の公會に於ける講演に挨拶に,Bohr 教授は其薀蓄と熱意とを以て聽衆に多大の感動を與へた.
 其説く所は古典量子論より始めて相補性に及び,原子核,宇宙線を始めとして生物學,心理學,哲學等に關する最も基本的な今日の問題に就いて,教授獨自の見解を吐露して廣く我學術の研究發展に刺戟を與へた.現に目下我國に行はれつつある物理學,生物學上の研究の中で,其端を當時教授との討論に發したもののあることは,此招聘が如何に我學界の進歩を促したかを示すものである.
 Bohr の講演に對する態度は極めて良心的であり,又常に細心の注意を拂つて居る.日本に於ける講演でも,會場に出る迄話の内容について心を碎いて居られるやうに見受けた.
 Bohr の講演は前以て數式や圖を黒板に一杯書いて置いて,その順序に話すのである.然し其講演は決して解り易いものではない.それは言葉の關係もあり又内容から
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