エ生物に屬し,又どれだけが生物體外のものであるかが決められない.規定することが出來なければ原子物理學を適用する手掛りを失ふわけである.
又思想と感情,理性と本能といふ對立的心理現象の存在も互に相補の關係にあつて,一方の存在する所他方が隱れて了ふのは,自己觀察の特性の然らしむる所である.
吾人の用ふる言葉そのものも,その分析と適用とが相補關係にあつて,言葉を分析し定義すると使へなくなつて了ふ.これを定義しないで漠然たる所に適用の餘地が出來てくるのである.又事物の形式と内容とも相補の關係にあつて,内容なくして形式はないが,内容を餘り分析すると形式は無くなつて了ふ.尚此形式と内容とについては Bohr は次のやうに云つて居る.
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There is no content which is not framed in a form;
there is no form which is not too narrow, if one
does not limit its application.
[#ここで字下げ終わり]
そして内容の増大による不調和は,更に廣い見地から調和
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