アんな場合にも Bohr は古典論との對應を追究することによつて,問題を解く端緒を得て行つたのであつて,云はば對應原理は闇夜の燈火であつた.これ等の點を最もよく論述したのは丁抹の學士院の報文として1918年 (15)(16)[#「(15)(16)」は上付き小文字] 並に1922年 (26)[#「(26)」は上付き小文字] に發表せられた3論文である.之は量子力學の發見以前は,量子論の基礎假定に關する1923〜1924年の論文 (34)(35)[#「(34)(35)」は上付き小文字] と共に,量子論の教書のやうに考へられたものである.
 Bohr は對應原理を指針として,元素の週期律を原子構造の立場から解明しようと試みた.それには各元素の裸の原子核が,電子を1箇宛捕捉して行く時に生ずるスペクトルを理論的に攻究し,それとX線スペクトル並に原子スペクトルに關する實驗結果とを照し合せ,又他の諸性質をも參考として各元素の原子構造を明かにした.そしてその結果を初めて‘Fysisk Tidsskrift’(1921)(22)[#「(22)」は上付き小文字]に發表した.
 これによつて各原子の構造が解
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