日本再建と科學
仁科芳雄
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1.緒言
現在の我が國は,虚脱状態にあると謂はれる.全くその通りである.これは敗戰國の常として怪しむに足りない.殊にあれだけの無茶な戰爭をした後としては急に立ち直ることを注文する方が無理であらう.然し終戰後既に半年を過ぎても荒漠たる燒野原は依然としてその儘であり,燒け殘つた工場の煙突からはいつ迄經つても殆んど煙は擧らない.そして次から次へと勞働爭議が起り,賃金と物價とが競爭して昂騰して行つた結果が經濟緊急措置となつて現はれたのであるが,この先がどうなることかと危ぶまれるのである.そして人々はその日その日の食ふことにばかり氣を奪はれて,科學などといふ直接パンに關聯を持たない文化の分野は,ややもすると國民の腦裡から消え去つてしまふといふ状態である.これで好いのであらうか.
この儘で進んでゆけば,物資の不足と道義の頽廢とは遂にこの古い歴史をもつ國家を破滅の危機に追ひ込んでしまふであらう.それは世界の歴史から見ても悲しむべきことであり,又そんな國が地球上に存在することは,國際上惡影響を及ぼす處が尠くない.これを考へるとどうしてもこの下向きの傾向を止めて上昇曲線に載せることが絶對に必要である.それは國民各自の責任であり,あらゆる分野の大きな建設的協力なくしては行はれ得ないことである.今自分は科學がこの我が國の再建に如何なる役割を持つてゐるかを述べ,それぞれの關係者の努力を要請したいと思ふ.
2.科學の役割
近代の物質文明は科學の發展によるものであるといつて差支へないであらう.否,物質文化のみならず,それを通して精神文化を今日の状態に持ち來たすに與つて力のあつたことは否めない事實である.
最も顯著な例として原子爆彈を擧げて見よう.その原理は1938年にドイツのハーンとストラスマンとが,原子核の研究,即ち中性子を元素ウランの原子核に衝突させた場合にできる放射能の研究を行つて居つた際に發見したものであつて,ウランの原子核が中性子を捕獲するとそれが二つ又は二つ以上に分裂し,分裂破片は莫大なエネルギーを持つて飛び出してくる.このエネルギーが廣島や,長崎にあの通りの暴威を振ひ潰滅を齎したのである.(長崎の場合はウランではなく元素プラトニウムを用ひた.)これでも解る通り原子核の研究といふ最も純學術的の,しかも何等應用といふことを目的としない研究が,太平洋戰爭を終結せしむる契機を作つた最も現實的な威力を示すことになつたのである.これは如何なる外交よりも有力であつたといはねばならぬ.科學が現代の戰爭といはず文化といはず,凡ての人類の活動上,如何に有力なものであるかといふことを示す一例である.
更に原子爆彈の今後の發達は恐らく戰爭を地球上より驅逐するに至るであらう.否,吾々は速かに戰爭絶滅を實現せしめねばならぬ.然らざれば人類の退歩,文化の破滅を招來することとなるからである.即ち,ある期間を經過すれば,廣島・長崎の場合と比較にならぬ程強力な原子爆彈を,地球上二つ以上の國が所有することになり,それ等の國が戰爭を始めると極めて短時日の間に回復すべからざる打撃を凡ての交戰國に與へてしまふであらう.これは決して空想でなく現實である.こんな状況に於ては誰しも戰爭を始める氣にはなれないであらう.原子爆彈は最も有力なる戰爭抑制者といはなければならぬ.戰爭のなくなつた平和の世界に於ける吾々の物心兩面の文化は如何に豐かなものであらうかを考へただけでも,科學の人類發達に及ぼす影響の大さが知れるのである.
原子爆彈は有力な技術力,豐富な經濟力の偉大な所産である.所が,その技術力も經濟力も科學の根に培はれて發達したことを思ふとき,アメリカの科學の深さと廣さとは歴史上比類なきものといはねばならぬ.然しその科學は又技術力と經濟力とに養はれたものである.アメリカの尨大な研究設備や精巧な測定裝置や純粹な化學試藥が,アメリカ科學をして今日あらしめた大切な要素である.これは勿論アメリカ科學者の頭腦の問題であると共に,その技術力,經濟力の有力なる背景なくしては生れ得なかつたものなのである.即ち科學は技術・經濟の發達を培ひ,技術・經濟は又科學を養ふものであつて,互ひに原因となり結果となつて進歩するものである.
以上述べたことにより,我が科學が日本の再建に果すべき役割は大體に於て想像せられるであらう.終戰後,我が國の産業は從來と全く異つた環境に置かれたのである.資源としては4個の島にあるもの以外は輸入に俟つより外はない.その貿易も現在は停止せられてゐる.これでともかく七千數百萬の人を養つて行かねばならぬ.それには從來と異つた技術の創造を必要とする.しかも僅かの改革で濟むやうなものではなく,根本から異つた原理によるものでなくてはならぬ.丁度原子爆彈が從來の爆彈と全く異つた原理を基礎として創造せられたと同樣に,我が國の産業も根本的にその出發點から檢討してかからねばならぬ.そして從來と全く異る環境に適應する産業を創造せねばならぬ.例へば農業にしても,水産にしてもその基礎である生物學から出發せねばならぬ.生物學にはまだ究明すべき多くの問題が解決を待つてゐるのである.この根本を明かにすることによつて,從來の方法とは全く異つた農業や水産の分野が生れる可能性が生じるのである.これは勿論必ず達成せられるかどうかは豫知することはできない.然しその可能性の有ることは原子爆彈の例で明かであらう.今日我が國がおかれてゐる外的條件はそれ程までに根本的に溯つて始めて解決せられる程困難なものなのである.それ故,吾々は科學の凡ての分野の頭腦を綜合して,重要な問題の解決を極めて基礎的方法によつて求めて行かねばならぬ.これがためには凡ゆる部門の科學者は互ひに密接な連絡の下にそれぞれの分野の研究を從來よりも一層深く掘り下げると共に,かくして得られた結果を實地に應用すべき研究者に協力して,基礎研究より始まり應用研究を經て更に生産に至る迄の,一貫した操作が逞しく推進せられるやうにする必要がある.
かやうにして一つでも劃期的な進歩がある部門に齎されれば,その結果が原因となつて更に他の分野に多大の影響を生むことになるのである.こんな基礎的な革命が幾つかの部門に起れば,それで日本産業の再建は行はれ生産は回復し經濟は安定し,延いては道義の昂揚も望み得るであらう.但しこれには相當の年月を要する.
以上によつて科學が如何に日本の再建に必要なものであるかが想像せられるであらう.然るにある論著は日本に科學を榮えしむることは,即ち戰爭を起す能力を與へるものであるから,その發達をできるだけ抑壓すべきであるといふ.これは杞憂以外の何物でもない.勿論かやうな考へ方は日本の現状を猜疑の目を以て見る者にとつてはあり得ることである.科學は使ひ方によつては戰爭遂行に最も有用な武器である.それは原子爆彈やレーダーが具體的に示してゐる.その同じ科學が使ひ方によつては平和國家の建設に不可缺の要因であることは前述の通りである.要はこれを如何に使用するかといふことであつて,それは使用する人の態度で定まる問題である.
我が國は最近發表せられた改正憲法の草案にも見られる通り,國家として戰爭を否定しこれを抛棄することを決意し,マ司令部もこれに滿足の意を表してゐるのである.これは正に太平洋戰爭で得られた最大の收穫といはねばならぬ.このことはポツダム宣言受諾の當然の歸結であるが,更に現實の問題として日本は戰爭をする能力がない.即ち何はさて措き原子時代を支配すべき原子爆彈を1個も作り得ないのである.何となれば聯合國より禁止せられてゐるのは勿論のことであるが,その必要もなく地質學者及び鑛物學者のいふ所によれば,日本には必要量のウランは産出しない.又たとへウランがあつたとしても,我が國の技術・經濟が原子爆彈製造の能力をもつやうになる見込みは,到底ないからである.
從つて戰爭が始まれば,日本はそば杖をくつて原子爆彈の慘害を被る以外には何の收得もない.憲法に戰爭抛棄を制定せんとするのは,人道上は勿論のこと,利害關係からも當然のことといはねばならぬ.萬世太平の國是をとつてゐる日本にとつて,科學の興隆は民生に生活の安定を得せしめ,世界平和に貢獻せしむる大きな力を與へる以外の何物でもない.これは平和を好愛するアメリカに於て,科學が如何に物心兩面の文化建設に役立つてゐるかを見れば,思ひ半ばに過ぐるものがあらう.それ故日本に科學を否定することは即ち七千數百万萬の人間を貧困と混亂と惡徳との淵に沈淪せしむることになる.これは日本國民にとつて不幸であるのみならず,世界人類發達の障碍となるものとして避くべきことといはねばならぬ.この見地よりして自分は日本科學の振興に對し,聯合國が特に考慮を拂はれんことを冀ふものである.
3.科學の再建
我が國の科學は支那事變まではその發達目覺しいものがあつたのであるが,それより次第に下り坂となり太平洋戰爭となるに及んで益々進歩を阻まれ,その末期に於ては空襲により痛められ,終戰後は科學者の生活の不安と,戰災復舊の困難と,資材入手の不能とにより,その機能を殆んど停止してしまつた.
科學は眞に救國の具であるが,前述のやうに産業に劃期的革新を齎すことは,現實の問題として遠き將來に屬する.そんな研究の推進が今日の虚脱状態に於て直ちに行はれ得るとは誰が豫期しよう.それ處ではない.1本のガラス管や1尺のゴム管さへも手に入れることが難かしい.そしてガスはぜんぜん來ないやうな實験室で劃期的の研究は思ひもよらぬことである.更に科學者は今日生活の不安に脅かされ續けてゐる.これでは碌な仕事のできる筈がない.科學の推進はこれを可能にする環境に置いてやつて初めて動きだすのである.前述の通り日本の再建は科學の力に俟つ處眞に多大である以上,こんなに死滅に瀕してゐる科學の再建には全力を盡さねばならぬ.それは如何にして行はれるであらうか.
それには,何よりも先づ産業の復舊といふことが急務である.これによつて國民は生活の安定を得ることになり,科學者は研究に專念することができる.又研究資材も次第に入手できるやうになり,科學者の仕事が進め得られるのである.然らばこの産業の回復は具體的に如何にすべきであるか,これは本論の範圍を逸脱するものであり,又自分はこれを述べる資格もないから,專門家の意見に俟つべきであるが,今日の虚脱状態は全體が相關聯した綜合的休止體を形成してゐるのである.從つてその復舊も綜合的に進められねばならぬ.然し一時に全體を動かすことはできないから,重點的に少數の産業が率先して範を示せば次々に凍結が溶けてくるであらう.例へば石炭とか肥料とかいふのは既にその緒についてゐるやうに思ふ.只この際特に注意すべきことは,國民の各層が,それぞれ救國の氣魄を以て立ちあがることであつて,徒らに自家の利害にのみ汲々たることは結局に於て己の損失を招くことを自覺すべき[#「自覺すべき」は底本では「自覺す べき」]である.今日の民主主義革命時代に於ては,産業組織も古い型態をその儘墨守することは許されないことである.それと同時に國民の全體から見て復舊を遲れさせるやうな變革は執るべきではない.要は各自が善意と誠意と眞實とを以て建設的の協力を盡すべきである.
それでは科學者は産業の回復するまで只手を束ねて待つべきであらうか.それでは國民の義務を果すものとはいへない.今日でも活動開始の可能な分野は直ちに仕事を始めねばならぬ.先づ第一に今日有する知識經驗を用ひて多少とも産業の回復に役立つ仕事があれば,直ちに着手すべきである.次に理論的研究は外國から文獻さへ入つてくれば研究はできる.外國
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