った.戰爭中 Bohr さんはドイツ軍に捕われる寸前,飛行機でイギリスに逃げ,それからアメリカに渡って,原子力の研究に加わったということである.その間 Bohr さんの家族はストックホルムに避難しておられたのである.Bohr さんは將來の平和に對して,非常に大きな希望を持たれているようであった.また日本に對しては,深い同情をもって終始しておられた.
 私がおる間に,アメリカの Wheeler や,オランダの Kramers などの物理學者が來て,いろいろ盛んに討議をしていることは,私が前におったときと變りがなかった.
 私は9月10日にコペンハーゲンを發って,パリへ行き,ユネスコの總會を2日間見學した.まだ總會は始まったばかりであったから,會議は主に演説に終始しておったようであるが,平和に對する熱意が溢れているのを感じた.
 それから9月21日にパリを發ってロンドンへ行き,ロンドンでは旅劵の査證などで手間取って9月26日に出發し,同じ空路で日本に歸って來た.
 コペンハーゲンやパリは戰災を被らなかった都市であるから,その復興も早いのは當然だが,ロンドンはずいぶん戰災を被ったにかかわらず
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