り立憲国の内閣に必要なるを疑はずと雖も、閣下の内閣は唯だ一時の利害に依りて政府を弁護する聯合党を有するに過ぎずして、主義政見に依りて統一せる一大政府党を有せざるを奈何せむや、人あり閣下に向て閣下は真の政府党を有するやと問はゞ、閣下は必らず然りと答ふるの勇気なかる可し、是れ事実に於て真の政府党なきのみならず、閣下は曾て公然真の政府党を作りたることなければなり、則ち我輩は唯だ閣下が議院政略を乱用して政党を操縦したるを見る、未だ閣下が主義政見に依りて進退を倶にす可き真の政府党に援助せらるゝを見ず。
相公閣下、我輩の聞く所に依れば、伊藤侯は改正選挙法通過の後、窃に閣下に向て政府党組織の計画目下に必要なるを説き、暗に此の大任を伊藤侯に委するの内勅を得るの手段を尽さむことを求めたるに、閣下之を肯んぜずして曰く、君にして苟も政党を組織せむとせば則ち君自ら之れを為して可なり、内閣は断じて其の議を賛するを得ずと、此に於て乎伊藤侯は閣下の与に為すあるに足らざるを怒りて、爾来閣下と益々情意の疏通を欠くに至れりと、是れ閣下が伊藤侯の野心測られざるを恐れたるにも由る可しと雖も、一は閣下が強て超然内閣の外観を維持せむとするの謬見より出でたるものに非ずして何ぞや、要するに閣下は現在に於て真の政府党を有せざるのみならず、其の政府党らしきものすらも、日に閣下の内閣と相離れて反つて閣下の死命を制するの政敵たらむとするが如きは、亦豈閣下の宜しく警戒す可き一大危機に非ずと謂はんや。
※[#始め二重括弧、1−2−54]十九※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山県相公閣下、閣下は或は帝国党を以て内閣の忠僕なりと信ぜむ、然り其の歴史よりいふも、其の関係よりいふも、帝国党は確かに内閣の忠僕たる可き傾向を有するものなり、さりながら僅々二十余名の代議士を有する眇たる一小党は、閣下が果して頼つて以て有力なる忠僕とするに足る可き乎、況むや帝国党は政治的投機師を以て組織したる烏合の政団にして、殆ど政党と名く可き実質を具へざるに於てをや、先づ試に其の領袖たる者の如何なる人物なるかを見よ、佐々友房氏は自ら大策士を以て任ずるに拘らず、識慮頗る暗昧にして確然たる定見なき人なり、曾て独逸に遊ぶや、其の国の各政党が大抵宗教問題を政綱に掲ぐるを見て以為らく是れ我国の宜しく学ぶ可き模範なりと、帰来直に帝国党の政綱に宗教事項を加ふるの必要を唱へたる如き愚論家なり、而して、此の愚論家にして且つ自称大策士たる彼れは、唯だ毎日根気よく書簡を手記して、己惚れと迂濶とを扱き雑ぜたる報告を選挙区民に為すの外には、巧みに元勲政治家の間を周旋し、区々の縦横説を進むるを以て独り自ら得意とするのみ、元田肇斎藤修一郎の両氏は、彼れに比すれば智見も思想も数等進歩したる人物なれども、一は小胆にして大事を担当するの器なく、一は不謹慎にして公人としての信用欠げたり、斯くの如き人物に依て指導せらるゝ帝国党は復政治上に於て何事を為し得可しとする乎。
相公閣下、閣下の閣僚たる清浦曾禰の両氏は、曩きに帝国党の組織に後援を与へ、今も現に其の黒幕として頗る尽力すといふと雖も是れ恐らくは閣下の利益に非らずして寧ろ閣下に禍ひせむ、何となれば是れ徒らに伊藤侯及び自由党の反感を買ふに過ぎざればなり、昨年国民協会の解散するや大岡育造氏は伊藤侯を擁して新政党を組織せむとしたるも、其の計画は佐々元田等の反対に沮まれて行はれざりしのみならず、閣下は清浦曾禰等の閣僚に誤られて帝国党の成立を助け、地方議員選挙の際の如きは、窃かに地方官に向つて、帝国党の候補者には十二分の援助を与よ、其他の政党員に対しては局外中立を守れと内訓して自由党の激昴を招きたるは公然の事実なり、大岡氏は旧国民派中には比較的智慮に富める人物なり、乃ち此般の現状を見て、頗る憤々の情に禁へざるものありしが為に、終に飄然として外国漫遊の客と為り、以て暫らく政変を待つの已むを得ざるに至れり、一の大岡氏を失ひたる如きは、たとひ帝国党を軽重するに足らずとするも、閣下の閣僚にして帝国党と密接の関係あるものは、唯だ清浦、曾禰の両氏のみにして、其他の閣僚は孰れも帝国党の微弱にして頼む可からざるを知り、現に桂子の如きは、寧ろ自由党と深く結托して、之れを利用せむとするの野心あり、西郷侯は頃日帝国党の首領たるを密約すと称せらると雖も、侯は自由党に対しても如何なる密約を為し居るやを知る可からざるに於て、閣下と帝国党との関係は反つて内閣の統一を破るの原因たらむ、閣下果して帝国党を以て頼むに足るの忠僕なりと信ずる乎。
※[#始め二重括弧、1−2−54]二十※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山県相公閣下、我輩の見る所に依れば帝国党は清浦曾禰の両氏と直接の関係あるに過ぎずして、其の他の閣員は初めより之れと利害を倶にするの意なきに拘らず、閣下軽ろ/″\しく此の両氏に致されて、窃かに帝国党の成立を助けたるは、是れ実に閣下の一大失策なりと謂はざる可からず、葢し帝国党は自ら内閣の忠僕たるを以て任ずと雖も、実は清浦曾禰両氏の忠僕にして、純然たる政府党には非ず、仮りに之れを政府党と認むるも、其の勢力は固より閣下の内閣を維持するに足らず、况むや政府党に非ずして一個の私党たるに於てをや、然るに閣下は斯る私党を以て直参の忠僕たらしめむとして、反つて内閣の統一を破るの結果を考慮せざるは何ぞや。
桂子は閣下の内閣を組織するが為に、憲政党内閣の末路に当りて頗る如才なき立ち※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りを為したる人なり、而も此れと同時に、子は自由党と閣下の内閣とを提携せしむるが為めに、亦た政治的桂庵として周旋甚だ勉めたりしを以つて、今も尚ほ双方の連鎖たる位地に在るは衆目の視る所なり、青木氏は初じめ自由党に入党の申込を為したるほどの人にして、入閣の際俄かに其申込を撤囘し、以つて大に自由党の感情を破りたりと雖もさりとて自由党と全く関係を絶てりと謂ふ可からざるは無論なり、西郷侯は憲政党内閣時代に於て、既に岡崎邦輔氏の媒介に依りて星亨氏と相識り、爾来横浜海面埋立事件にも、市街鉄道問題にも、常に星氏の秘密協議を受けて、次第に相接近し来れるものなり、即ち此の三閣僚は閣下の為に、屡絶えむとしたる自由党の提携を維持し得て今日に到りたるに於て、閣下にして単に帝国党を頼みて自由党を無視するが如き行動に出でむか、閣下は先づ此の三閣僚と併び立つこと能はざるに至る可きは自然の傾向なり、而して閣下の行動は往々之に類するものあるを以て、今や自由党は漸く閣下の内閣に向て鼎の軽重を問はむとするの意向を表現したるに非ずや、所謂る局面展開論の如き実に此の意向の表現に外ならじ。
相公閣下、閣下の最大謬見は、唯だ議院政略を以て能事と為し、金銭若くは其の他の利益を懸けて自由党を操縦せむとしたるに在り、顧ふに現時の自由党は殆ど腐敗の極度に達したるに於て、閣下の議院政略が其弱点に投じて十二分の成功ありしは、我輩と雖も亦之を認ざるに非ず、さりながら自由党員の中には亦多少時勢の要を識る者なきに非ざるが故に、単に閣下の内閣に盲従して永く藩閥の奴隷たるに満足せざる人物亦少なきに非ず、彼等は閣下と共に到底立憲政治の実効を挙ぐるに足らざるを自覚し、別に新機軸を出だして政局の進転を計らむとせり、是れ閣下の内閣が漸く内部の動揺を始めたる所以なり。
※[#始め二重括弧、1−2−54]二十一※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山県相公閣下、閣下の内閣が近時漸く動揺し始めたるは疑ひもなき事実にして、帝国党の代表力たる清浦曾禰の両氏は、専ら閣下の参謀として内閣の政略を指導するの位地を占め、閣下の属僚たる都筑、平田、安広等の頑夢派と相策応して、自由党を牽制するの運動に着手しつゝあるは、亦既に公然の秘密なり、我輩の聞く所に依れば、彼等は閣下に向て総べて自由党の要求を峻拒す可しと勧告したり、此れが為めに自由党と提携を絶つに至るも復た畏るゝに足らずと説きたり、第十五議会までには、帝国党と中立派とを連合せしめ、更に進歩自由の両党代議士中より幾多の醜漢を買収せば、優に多数を議会に制するに得ること掌を反へすよりも易しと進言したりといふ、其の無稽無謀の太甚しき、殆ど閣下を死地に陥いるゝにあらずむば止まざるものなるに拘らず、閣下の意思稍※[#二の字点、1−2−22]彼等の献策に動かさるるの傾向ありといふは何ぞや、彼等は以為らく、第十五議会の形勢にして若し閣下に利非ずとせむか、即ち断然議会を解散し改正選挙法に依りて進歩自由の両党と争ひ大に選挙干渉を行ふて多数の御用代議士を選出せしむること敢て難しと為さず、而も尚ほ不幸にして議会の多数を制すること能はずむば、内閣は此の時を以て始めて総辞職の挙に出づるも未だ晩からず、而して是れ実に立憲政治家の責任に背かざるの名を得るに庶幾しと、意気頗る正大なるに似たりと雖も、斯くの如きは主義あり政綱ある政党内閣に於て言ふ可く、単に閣下の内閣を維持して其の恩恵の下に生存せむとする属僚等の言ふ可き所に非ざるを奈何せむや、さりながら閣下亦自ら其運命の窮せるものあるを知らざる可からず、葢し自由党が今日まで閣下に盲従したるは、唯だ伊藤侯の起たざるを以てのみ、苟も侯にして自ら起つて自由党を率ひば、閣下の内閣は鎧袖一たび触れて忽ち倒れたりしや久しきなり、而も侯の容易に起つの色なきは、自由党の組織が侯の理想に適合せざるが為にして、自由党にして真に能く侯の理想を摂取するの内容を有せば、侯或は自由党に入りて其の首領たるを辞するものに非じ、但だ自由党の内容は、侯の理想を摂取するには余りに雑駁にして、且つ余りに弾力に富めり、案ずるに侯が政党の規律節制を説くは太だ善しと雖も、是れ単に外部より訓練し教育し得可きものに非ずして、自ら其の党人と為りて内部より改造せざる可からざるものたり、侯は何が故に自ら自由党に入りて其の理想を実行するを勉めざる乎、是れ頗る怪む可しと雖も、実は自由党が到底侯の理想を摂取するの受容力を有せざればなり、さりながら侯も自由党も、閣下の内閣に対しては均しく結局の利害を異にするものあるに於て、此の一点に於て常に相接近するの関係を保持して、共に局面展開の時機を待てり、局面の展開は如何なる装姿を以て現はれ来る可きかは一個の疑問なれども、其の現状維持に倦みて局面の展開を望むの心は侯も自由党も亦同一なり、而して閣下の属僚等は、強て現状を維持せむとして無稽無謀の挙を閣下に慫慂するを見る、是れ豈伊藤侯と自由党との共に隠忍して已む能はざる時期ならずや、閣下尚ほ首相の椅子に緊着して離れざらむとする乎。
※[#始め二重括弧、1−2−54]二十二※[#終わり二重括弧、1−2−55]
山県相公閣下、世に伝ふ、頃ろ自由党は閣下に向て内閣の三四脚を要求し、若し聴かれずむば提携を謝絶して内閣に反対するの決意を示したりと、是れ恐らくは局面展開の第一着手たる可し、さりながら閣下にして此の要求に応ぜむとせば、先づ閣下に最も親近なる閣僚を引退せしめざる可らず、今や此等の閣僚は、自己の運命を迫害せむとする自由党に対して防禦の策を講じ、閣下の属僚と倶に極力現状を維持するの成案を具して閣下に迫りつゝあり、此の成案は固より閣下を死地に陥いるゝものなりと雖も、自由党の要求とても亦閣下を窘窮せしむるの毒計たるが故に、閣下は殆ど進退維れ谷まれるの位地に在りと謂ふ可し。
抑も自由党が果して既に斯くの如き要求を閣下に提供したるや否や、たとひ既に之れを提供したりとするも、是れ自由党多数の冀望なりや否やに付ては、我輩未だ輙すく明言し能はざる所なりと雖も、自由党が之れに類するの運動を開始しつゝあるの事実は断じて疑ふ可くもあらじ、或は曰く末松謙澄男主として内閣割込の議を唱へ、自ら閣下に向て談判の任に当れりと、末松男が内閣改造の張本人たるは、我輩の甚だ信ずる能はざる所にして、若し彼れにして此の議を唱へたりとせば、是れ必らず伊藤侯の承認を得たる上の事ならざる可からず、さりなが
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