。当時伊藤内閣は自ら称して超然内閣といひしに拘らず、窃に自由党と提携し、又別に国民協会をも収攬して内閣の党援と為さむとし、其の旗幟甚だ鮮明を欠きたるのみならず、動もすれば内部の調和を謀るに急なるが為に、弥縫と姑息とを事とするの状あり。而して在野党の如きも、各派互ひに相分立して、一大政党を組織するに至らず、随つて其の在野党としての勢力毫も発展する所あるを見ざりき。公乃ち伊藤首相に向ては、其の宜しく超然主義を棄て、純粋なる政府党を作り、以て其の旗幟を鮮明にすべきを勧め、在野党の盟主たる大隈伯に向ては、其の宜しく改進党との関係を絶ちて各派合同の疏通に便ならしむべきを説きたり。是れ一篇の眼目なりき。公は此意見を以て直接間接に朝野の政治家を指導するに努めたるは言ふまでもなく、大勢亦久しからずして、遂に半ば公の意見を実現し、自由党は公然政府党と為り、改進党其余の各派は、相合同して進歩党を組織するに至りき。
然れども公は唯だ至公至誠を以て時局に処し、未だ曾て政権争奪の渦中に陥りたることあらず。故に二十九年松隈内閣成るや、公は文部大臣の候補に擬せられ、切に入閣を慫慂せられたりと雖も、公は固辞して之れ
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