烈なる攻撃を受けたりと雖も、後年日露戦争起るに及びて、宗教人種を異にする列国の同情を最後まで維持し得たるは、主として此の政略の賜なりと謂はざる可からず。要するに伯は新旗幟を霞ヶ関に樹てゝ帝国の外交を彰表し、新生命を外交機関に賦して外務省の性格を一変し、後の当局者をして其の率由する所以の大本を知らしむるに於て、晩年の心血を傾倒したりと謂ふべく、即ち今に於て伯の銅像の外務省構内に建設せらるゝを見るは、事と人と処と三者均しく宜しきを得て※[#白ゴマ、1−3−29]長へに霞ヶ関の紀念たるを失はざるべし。
 然れども陸奥伯は外務省の陸奥伯に非ずして、日本の陸奥伯なり。大隈伯は早稲田大学の大隈伯に非ずして、日本の大隈伯なり。特に大隈伯の如きは、啻に日本の大隈伯たるのみならず、其の名声は漸次世界的音色を帯び来らむとせり。顧ふに陸奥伯を以て大隈伯に比すれば、其の人格に於て大小の品異なるあり、其の頭脳に於て広狭の質同じからざるありと雖も、共に藩閥以外の出身者にして、自己の手腕を以て自己の天地を開拓したるに於ては則ち一なり。而も両伯の出処進退には、自ら両様の意匠ありて好個の対照を為せり。大隈伯の出処進退を
前へ 次へ
全350ページ中121ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鳥谷部 春汀 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング