中の虫となる※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ侯の聡明能く此の憂を免かるるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]顧みて大隈伯を見るに、伯は必ずしも信服を人に求めずと雖も、其の自ら来て信服するものは、亦善く之を用ひ善く之れを導く※[#白ゴマ、1−3−29]是れ其伊藤侯と大に異同ある所以なり。
 大隈伯の特質として最も著明なるは、精神常に活動して老て益々壮んなるに在り※[#白ゴマ、1−3−29]伯曾て人に語て曰く、隠居制度は亡国の条件なりと※[#白ゴマ、1−3−29]其の春秋漸く高くして壮心次第に加はる如き、其の向上精進毫も保守の念なき如き、其の冀望抱負常に新たなるが如き、伯は実に天性進歩主義の人物なり※[#白ゴマ、1−3−29]伯の進歩主義は独り政治上の智識より出でたるに非ずして、即ち伯の生命なり、伯の理想なり※[#白ゴマ、1−3−29]之れを伊藤侯の動もすれば林下退隠の状を為すに比す、則ち本領の甚だ差別あるを知るに足る※[#白ゴマ、1−3−29]伯又口を開けば常に自由競争を語る※[#白ゴマ、1−3−29]自由競争は乃ち伯の人生観たる莫らんや※[#白ゴマ、1−3−29]人生既に自由競争の運命ありとせば、優勝劣敗は天則にして、世界は優者の舞台なり※[#白ゴマ、1−3−29]伯の老て益々壮んなるは顧ふに之れが為のみ。
 伊藤侯の特質として最も著明なるは、風流韻事自ら高しとするに在り※[#白ゴマ、1−3−29]暇あれば必ず詩人を邀へて共に煙霞を吐納し、筆墨を揮灑す※[#白ゴマ、1−3−29]是れ胸中の閑日月を示さんとすればなり※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は伊藤侯の風流韻事なく、未だ詩を作り文を品するの談あるを聞かずと雖も、伯の嗜好は反つて一種瀟脱の天地に存するものあり※[#白ゴマ、1−3−29]何ぞや、曰く園芸に対する嗜好是れなり※[#白ゴマ、1−3−29]伯は園芸を以て啻に一身を楽ましむるのみならず、亦交際を醇潔にし、人心を調和し、道心を養ふの益ありと信ぜり※[#白ゴマ、1−3−29]伯曾て客に戯れて言ふ、世間予の庭園に耽るを笑ふものあれども、彼の千金棄擲解語の花を弄するものと得失孰れぞやと※[#白ゴマ、1−3−29]要するに伊藤侯の風流は東洋的にして、大隈伯の嗜好は西洋的なると謂ふ可し。
 伊藤侯の銅臭なくして艶聞ある、大隈伯の艶聞なくして銅臭ある、世之れを称して好個の一対と為す※[#白ゴマ、1−3−29]然れども財を好て私徳を傷るに至らずむば、未だ之れを以て大隈伯を譏る可からず※[#白ゴマ、1−3−29]色を好て公徳を紊さずむば、未だ之れを以て伊藤侯を累はすに足らず※[#白ゴマ、1−3−29]况んや大隈伯の財に於ける、善く積て善く散ずるの道に依り、伊藤侯の色に於ける、是れ英雄懐を遣るの余戯に過ぎざる可きをや※[#白ゴマ、1−3−29]之れを聞く、前年伊藤侯の邸に舞踏会あるや、偶々醜声外に伝りて、都下の新聞日として侯を議せざるなし※[#白ゴマ、1−3−29]人あり侯に勧むるに新聞記事の取消を以てす※[#白ゴマ、1−3−29]侯笑つて曰く、事の公徳に関するものは予固より之れを不問に附する能はず、区々一身上の誹毀何ぞ意に挟むに足らんやと※[#白ゴマ、1−3−29]侯の磊落なる洵に斯くの如し、是れ其の割合に世の憎疾を受けざる所以なり※[#白ゴマ、1−3−29]独り大隈伯は、其の貨殖に巧みに経済に長ずるを以て、人或は伯の平生を疑ひ、奸商と結托して往々私利を謀るものと為す、是れ亦思はざるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]世には其の言を孔孟に借て盗跖の行あるもの少なからず※[#白ゴマ、1−3−29]伯や固より清貧を装ふの偽善家を学ぶ能はずと雖も、其の决して黄金崇拝の宗徒たらざるは、伯が親近するものゝ反つて廉潔の士多きを以て之れを知る可し。
 伊藤侯は信仰を有せず※[#白ゴマ、1−3−29]若し之れありとせば唯だ運命に対する信仰あるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]故に侯は屡々高島嘉右衛門をして自家の吉凶を卜せしむ※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は宗教信者に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]然れども一種敬虔の情凛乎として眉目の間に閃くは以て伯が運命の外別に自ら立つ所あるを見るに足る※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し伊藤侯の屡々失敗して毎に之れが犠牲と為らざるは殆ど人生の奇蹟にして、大隈伯の屡々失敗して飽くまで其の自信を枉げざるは猶ほ献身的宗教家の如し※[#白ゴマ、1−3−29]故に伊藤侯は得意の日に驕色あり※[#白ゴマ、1−3−29]大隈伯は得失を以て喜憂せず。伊藤侯は英雄を尚び、大隈伯は功業を尚ぶ※[#白ゴマ、1−3−29]夫れ英雄を尚ぶものは人の又己れを英雄視せんことを求む、故に伊藤侯は外に向て英雄らしき詩を作り※[#白ゴマ、1−3−29]内に向て
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