彼れに於て見たる人格には、胆識雄邁、覇気人を圧する大隈伯の英姿なく、聡敏濶達、才情円熟なる伊藤侯の風神なく、其の清※[#「やまいだれ+瞿」、第3水準1−88−62]孤峭にして、儀容の端※[#「殼/心」、43−上−8]なる、其の弁論の直截明晰にして而も謹厳なる、自ら是れ義人若くは愛国者の典型なり。土佐人士には二種の系統あり、一は冷脳にして利害に敏なる策士肌の系統にして、故後藤伯之れを代表し、大石正巳林有造等の人格は之れに属せり。一は温情にして理想に富める君子肌の系統にして、板垣伯之れを代表し、故馬場辰猪植木枝盛等の人格之れに属せり。谷干城子の如きも、孰れかといへば寧ろ後者に近かく、唯だ其の板垣伯と異る所は、主義のみ、信条のみ、有体に評すれば、谷子は保守主義の板垣伯にして、板垣伯は進歩主義の谷子なり、更に語を換へていへば、谷子は東洋的板垣伯にして、板垣伯は欧化したる谷子なり。
記者は彼れの応接間を辞せむとしつゝ、端なく三個の額面に注目を導かれぬ。彼れは記者の問に応じて身を起し、先づ南面の壁上に掛れる金縁の大額を説明して曰く、
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是れ普仏戦争後に於ける第一囘の仏国国民議会なり。左側に起立し、頻りに手を揮つて何事か発言しつゝあるの状を為せる鬚武者の男は、有名なるガムベツタ[#「ガムベツタ」に傍線]なり。彼れは急進過激党の首領として、断然共和政府を建設す可しと主張し、当時盛むに国民議会の議場に暴ばれたりき。中央の椅子に坐を占め、群衆に取り囲まれて沈思黙考しつゝあるは、穏和党の首領チエール[#「チエール」に傍線]なり。彼れは共和政府建設論に対して、猶予決する能はざるが為に、急激党の難詰を受けつゝあるなり。
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彼れは更に他の一額に向へり。是れ伊太利統一後始めて開きたる伊太利議会の写真なりき。彼れの持てる扇子は、起立せる異装の一漢子に触れたり。彼れは曰く、
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見よ、破れたる軍帽を冠むり、長がき外套を着し、一人の従者を伴ふて議場の片隅に起てる質朴漢は、是れ議会の光景を見むとて来れるガリバルヂー[#「ガリバルヂー」に傍線]なり。
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彼れは曾て日本のガリバルヂー[#「ガリバルヂー」に傍線]を以て称せられたりき。其の多感にして侠熱ある、夫れ或はガリバルヂー[#「ガリバルヂー」に傍線]に私淑する所あるに由るか。最後に彼れの説明せる石版絵の額は、此応接間に於て最も珍奇なる紀念品たりき。旧式の武装を為したる十四五人の軍人は、或は鉄砲を捧げ、或は刀を撫して撮影せられぬ。而して彼れは三十歳前後の血気盛りなる風貌に於て其の中に見出されしが、其の面影は今も争はれぬ肖似を認識せしめたりき。此石版絵は、彼れが会津征伐より凱旋して、部下の士官を随へ、江戸市中を遊観したる時、通り掛けの写真屋にて撮影したるものゝ複製なり。彼れは之れを説明しつゝ滄桑の感に堪へざるものゝ如し。
 顧れば彼れの出発点は軍人にして、中ごろ改革家と為り、国会論者と為り、政党の首領と為り、終には社会改良家と為りて、最も平和なる生涯に入る。是れ譬へば急湍変じて激流と為り、更に変じて静流と為り、而して後一碧洋々たる湖沼と為れるが如し。此の点よりいへば、人生自然の順序を経過したりといふ可し。然れども彼れの生涯を一貫して渝らざるものは、利害よりも良心に動され易き性情是れなり。是れ彼れの彼れたる所以なり。(三十五年十月)

     古稀の板垣伯

 ※[#丸中黒、1−3−26]三月十八日紅葉館に開かれたる板垣伯古稀の寿筵は、無限の同情と靄々たる和気とを以て満たされた近年の盛会であつた。伯の晩年は甚だ寂寞で、殆ど社会に忘られて居つたが、而も伯は社会に忘れらるゝのを怨みもせず、悲みもせず、又毫も自分に対する国民の記憶を要求もしない。こゝらが板垣伯の人格の尊い所であらう。
 ※[#丸中黒、1−3−26]元来伯は犠牲的精神に富める義人の典型であつて、政治家といふ柄ではない。故に政治上に於ては、伯よりも大なる事業を成した人は幾らもある。併し功労の多少は別問題として、伯は明治史劇の或る重なる部分を勤めた役者であるに相違ない。
 ※[#丸中黒、1−3−26]民権自由論は決して伯の専売品ではない。故木戸公や、今の伊藤侯大隈伯などは、伯よりも以前に、少なくとも伯と同時代頃には、民権自由の意義を領解して居つたのである。士族の特権を廃して四民平等の制度を設けたのは、即ち民権自由論より割り出した改革で、此の改革は、勿論伯一人の発議ではないのである。
 ※[#丸中黒、1−3−26]民選議院設立の建白といつても伯の首唱ではなく、当時の政府反対党が案出したる政略的意見であるといふ方が適当である。伯は其の連名の一人たる外に、更に特筆大書すべき異彩を有
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