歩は、総べて国民的運動の結果なりと思惟せり。
唯だ伯は善く時代精神を摂取し、善く人民の希望と一致するの性格を有すと雖も、之れを行ふの権力と久しく遠ざかりたるを以て、政治上に於ては長く逆境の人たらざるを得ざりき、然れども伯は其の朝に在ると野に在るとを問はず、常に人民の代表者たるを失はざるがゆゑに、其の社会的境遇は甚だ幸福にして、其の生涯は頗る快活なり、伯は不幸にして権力を有せざるがゆゑに、至尊に侍して献替の任を尽くすに由なしと雖も、人民の代表者として、間接に国家に貢献するの功は、復た没す可からざるものあり。特に日本国民の大飛躍を試みたる今日に際し、伯の如き人民の代表者を民間に有するは、国家の代表者として伊藤侯を朝廷に有すると相待つて、時局を運為するの二大勢力たるべし。
凡そ国際問題は政府と政府との間に於て主として解决せらると雖も、最後の解决者は寧ろ国民なりといはざる可からず。故に内に在て民心を統一し、外に向て人民の思想感情を代表する人物の存在は、国際問題の解决に対して大なる共力となるべし。今や日露戦争は啻に列国政府の注意を牽引したるのみならず、又た深く列国人民の耳目を動かしたり、随つて其の人民の思想感情が、其の政府の政策に隠然たる影響を与ふるものあるを知るときは、我日本人民と環視列国人民との間に思想の交通を開くの必要あるは論ずるを待たず。而して大隈伯の如きは思想交通の一機関として頗る有効なる働らきを為しつゝあるを記憶せざる可からず。
元来大隈伯は、未だ一たびも海外に出でたることなしと雖ども、其の屡々外務の当局者たることありしと、其の外交的辞令に嫻へる故とを以て、其の外人に知らるゝことは伊藤侯に亜げり。故に伯が野に在るの時と雖も、外国使臣は常に伯の門に出入して伯と意見を交換するを喜び、又た来遊外人の重もなるものは、其の公人たると私人たるとに論なく、大抵伯を訪問して其の謦咳に接せざる者なし。伯は此等の外人を待遇するに於て亦能く親切鄭寧を尽くすがゆゑに、伯と会見して不快の感を残すものは一人もあらずといへり。而も伯は此の場合に於て、最も善良にして最も進歩したる日本人民の思想を紹介するがゆゑに、其の外交上に寄与するの利益は甚だ偉大ならむ。伯は実に無冠の外務大臣として外人と応接するものにあらずや。
日露戦争起るや、外国の新聞記者は、軍事通信の任務を帯びて続々我国に来朝せり。彼等の中には始めて日本を観たるもの少なからざれば、往々日本を誤解して日本に不利益なる報告を本国に送るものなしとも限らず。是れ决して軽視すべきものに非ざるを以て、大隈伯は屡々彼等を早稲田に招きて日本の真相を説明するに勉めたり。曩に開国五十年紀念会を開くや、伯は亦奮つて周旋の労を執り、居留米人をして頗る満足せしめたりき。当日会場整理の任に当りし米人ドクトル某氏が、我米人は最も大隈伯を愛好せりといひしを見るも、伯が如何に外人間に信用あるかを想ふ可し。
英国史伝家エワルド曾て其の著『代表的政治家』に於てパルマルストンを評して曰く、彼れは最高の能力に依りて英国を支配せざりき。然れども彼れは忠実にして不撓不屈なる愛国者なりき。彼れは正直にして善良なる信条を有したりき。彼れの智識は精確にして多種なりき。彼れの国民に対する同情は真摯にして决して偽りならざりき。彼れの趣味及び性格は、全然当時の英国人民を代表したりき。彼れの生涯は必らずしも偉大なりといふ可からず、然れども我政治家中にては最も英国的なりきと。余は此の語を移して以て我大隈伯を評するの甚だ適当なるを思はずむばあらず。(三十七年六月)
進歩党の首領
進歩党の中には、総理大隈伯の退隠を希望するもの少からずと伝へらる。其の意蓋し進歩党不振の原因を以て伯の指導宜しきを得ざるに帰し、伯の退隠に依りて進歩党の門戸を開放し、広く人才を招徠し、新たに適当の首領を求め、以て党勢を拡張すると共に、又政権に接近せむと欲するに在るものゝ如し。近時新聞紙上の一問題となりたる進歩党の改革運動なるものは、此の希望を有する党員を中心として起りたるに外ならじ。彼等は政友会と提携して却つて其の売る所となれる幹部の無策に憤慨し、堂々たる一大政党を以てして其の言動の毫も議会に重きを置かれざるの現状に煩悶し、進では政権に接近するの機会に益々遠ざかり、退ては政界に孤立して漸く民心に厭かれむとするの非運に苦悩し、而して斯くの如き苦悩煩悶憤慨より生ずる自然の反動は、終に彼等を駆て馬鹿らしき謀叛を企てしむるに至れり。大隈伯の退隠を希望すといふ如きは、馬鹿らしき隠謀に非ずして何ぞや。
大隈伯の進歩党に総理たるは、則ち正当の人物に於ける正当の位地なり。伯の健康にして猶ほ党務に堪ゆる限りは、進歩党は伯を総理とするに依りて其の存在を保つを得可く、又其の存在をし
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