総裁たるものは、唯だ政友会の利害を以て進退の凖とせざる可からず、唯だ政友会の主義綱領を保持する限りに於て会員指導の任に当らざる可からず、然るに侯の為す所は、党首たるの責任よりも、寧ろ元老たるの位地に重きを置きて、政府と妥協を私約し、以て専制的に之れを政友会に強ゆるの挙に出でたり、是れ到底忍び得べき所にあらずと。然り、侯は既に自ら公言して、乃公は一身を挙げて政友会に殉ずる能はずといへり、是れ尋常党首の言ふ能はざる所にして、適々以て侯の侯たる所以の本領を見るなり。
然れども侯は決して他の藩閥者流の如き政党嫌ひの政治家にあらず、政党嫌ひの政治家にして焉んぞ自ら政友会を組織することあらむや。唯だ侯は党首たるには余りに執着心に乏しくして党派の主義綱領を軽視するの傾向あるのみ。凡そ主義綱領といふが如きは、党派あつて始めて現はれたるに過ぎずして、悪るくいへば、源氏の白旗、平家の赤旗といふに異る所なし。赤旗白旗は源平戦争の標幟には必要なりしも、鎌倉幕府の政治家には、何の必要なかりき。固より立憲国の党派は公党にして私党にあるざるがゆゑに、其の主義綱領は、即ち国家に対する公念の発動にして、党派の私意にあらざる可し。然れども同一主義の政友会憲政本党が、故らに対塁相当りて相争ふは何ぞや、知らず所謂る主義綱領なる者は、党派に於て何の用を為しつゝある乎。余は現時の党派が使用しつゝある主義綱領が、殆ど赤旗白旗と何の選む所なきを惜まざるを得ず。故に若し党派の利害と国家の利害と両立せざる場合に於いては、真の政治家は往々党派の主義綱領を軽視することあり、ピールの穀法廃止論を採用して変節の名を甘むじたる如き、正さしく其の一例たり。或は政党は公党なるがゆゑに、其の利害は国家の利害と衝突せずといはむか、是れ亦党人の自観なるのみ。人は言ふ、伊藤侯は党首の器にあらずと、余も亦爾かく信ぜり、何となれば彼は此の自観を固執する能はざるの位地に在ればなり。然れども是豈侯の政治家たるに害あらむや。
抑も侯の政友会を組織したるは、実に模範政党を作らむが為なり。模範政党とは、党派的私情を去り国家的公見に就くの政党なるべし。侯は此の目的に依りて政友会を指導せむとしたるを以て、其の党首としての行動は、反つて党人の意に満たざるもの多きが如し。有体に評すれば、彼等は、侯が国家元老の一人として政友会に総裁たるを以て、唯だ此の一点の
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