見を有せる一個の人才たるを以て、新内閣中彼れの為めに最好の位置は確かに農商務大臣の椅子なりき。而も侯が彼れに与ふるに司法大臣の閑職を以てしたるは彼れが如何に侯の為めに軽視せられ居るかを見る可し。松田正久氏の文部大臣たるは世人の均しく意外に感ずる所なる可し。世人は寧ろ尾崎行雄氏か否らずむば西園寺侯を以て文部大臣に擬したりき。西園寺侯は健康未だ恢復せざるの故を以て、自ら新内閣に入るを好まざりしといふの事情はあれども、尾崎氏に至ては然らず。彼れは曾て文部大臣として頗る好評あり、其の人物技倆亦松田氏と同日に語る可らざれば、則ち西園寺侯にして自ら起たざるに於ては、尾崎氏こそ寧ろ新内閣の文部大臣として最好の人物なれ。知らず彼れは内閣大臣を目的として進歩党を脱したりといはるゝを気にして、自ら入閣を避けたる乎。将た彼れ自身は入閣を望みたるも、伊藤侯は彼れを閣員に加ふるを好まざりし乎。
星亨氏を逓信大臣たらしめ、林有造氏を農商務大臣たらしめたるは、恰も膏肉を餓虎に与へたる如しとて、国民の頗る寒心する所なり。されど伊藤侯は政党に於ては首領専制を唱へ、内閣に於ては首相独裁を主義とするの政治家たり。侯にして果して能く其の主義を実行するの決心あらば、たとひ詐偽師を内閣大臣たらしむるも亦必らず之れをして其詐偽を行ふに由なからしむるを得む。况んや星林の両氏の如きは、共に材幹手腕ある一廉の人物にして、若し之れを善用すれば、相応の治績を挙げ得可き望みあるに於てをや。唯だ侯が之れを善用するを得るや否やは甚だ世人の危む所たるのみ。
新内閣員として最も注目す可きは、加藤高明氏の外務大臣たること是なり。彼は久しく英国駐在の帝国公使として令名あり。其の外交上の技倆よりいへば、新内閣の外務大臣として何人も故障をいふものある可からず。彼れは啻に外務大臣として適任なるのみならず、内閣大臣たるの人格より見るも、新内閣中実に第一流の地歩を占むるものなり。彼れは名古屋出身たるに拘らず、毫も名古屋人の特色たる繊巧軽※[#「にんべん+鐶のつくり」、18−上−6]の処なく、極めて硬固にして冷静の頭脳を具へ、決断に長じ抵抗に強く、言笑亦甚だ不愛嬌なれども、常識豊富にして、其の思想は頗る健全なり。彼を知るものは彼れを称して英国紳士の典型を得たるものなりといへり。故に彼れの新内閣に在るは、確かに中外に対する重鎮たらむ。余は伊藤侯
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