の女性的気象なるに反して、彼は男性的気象を以て其謹慎の天分を包めるを異りとするのみ※[#白ゴマ、1−3−29]則ち彼は三条岩倉二公を調和したる資質を具へ、徳量は三条公の体を得て、沈勇は岩倉公の血を受けたり。
主義の人
彼れ前年独逸大学に在るや、其卒業論文として責任内閣論を草し、以て名誉ある学位を受けたり※[#白ゴマ、1−3−29]人は曰く、責任内閣は近衛公の初恋なり※[#白ゴマ、1−3−29]故に終生志を渝へざる可しと※[#白ゴマ、1−3−29]彼れが初期議会以来、常に責任内閣、藩閥打破を主張して、所謂る貴族院に於ける硬派の首領たるは、即ち其初志を貫徹せむとするが為めのみ、彼れが其平生師父の礼を以て待てる伊藤侯と政敵たるを辞せざるも、亦此れが為めのみ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れが衆議院の非藩閥派と屡々提携して、其運動を倶にするの迹あるも、亦此れが為めのみ※[#白ゴマ、1−3−29]故に彼れは伊藤侯の一派に敵視せられ、大隈伯の一派に多くの政友を有すと雖も、是れ唯だ政見の異同より来れる結果のみ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは決して大隈派に非ざるのみならず、大隈派の盛んに伊藤攻撃を事としたるの時は、彼れは未だ大隈伯に一面識すらなきの日なりき※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは主義の為めに伊藤侯と争ひたるも、曾て党派的感情の為めに其去就を定めたることはあらじ。
華族社会の好一対
近衛公と西園寺侯とは華族社会の好一対なり、近衛公は現に貴族院議長たり、西園寺侯も亦曾て貴族院に副議長たりき※[#白ゴマ、1−3−29]西園寺侯は現に伊藤内閣の文部大臣たり、近衛公も亦曾て松方内閣より文部大臣を擬せられたりき※[#白ゴマ、1−3−29]近衛公は久しき以前より機関雑誌を発行して、今も尚ほ現に之れを所有せり、西園寺侯も亦前年曾て一新聞を発行して自ら之れが記者たることありき※[#白ゴマ、1−3−29]其位地境遇何ぞ太だ相似たるや。
特に近衛公の独逸学に於ける、西園寺侯の仏蘭西学に於ける、其素養以て相敵するに足り、近衛公の国家主義に於ける、西園寺侯の世界主義に於ける、其思想以て相争ふに足る※[#白ゴマ、1−3−29]而して其名望よりいへば、西園寺侯遠く近衛公に及ばざるは独り何ぞや※[#白ゴマ、1−3−29]嗚呼是れ才の優劣に非ずして、又徳の高下に由るに非ず
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