方の豪紳あり、其の他間接直接に立憲政友会の創立に与かりたるものは、孰れも所謂当代の名士にして、其自ら揚言する所を聞けば、遖ぱれ憲政の完成を期するを以て任と為し、私利を謀らず、猟官を願はざる忠誠明識の政治家なるものゝ如し。余豈其の醇駁を判じ、清濁を断ずといはむや。
 且つ政友会の総裁たる伊藤侯は、久しく既成政党の弊害を憂へ、屡々公私の集会に臨みて之れが矯正の必要を唱へたるを見るに於て、其の今囘自ら起て立憲政友会を組織したるもの、蓋し亦平生の理想を行はむと欲するに外ならじ。余は此の点に於て深く侯の志を諒とし、唯熱心に侯の成功を祷ると共に侯の幕下に集まれる諸君子が、始終善く侯の指導に服従し、以て国家の為めに侯の志を成さしめむことを望むや極めて切なり。有体にいへば、余は不幸にして侯の人物及び経綸に深厚なる同情を表する能はず。されど其の六十有二の高齢に達して、意気未だ毫も衰へず、自ら政友会を発起して、政治的新生涯の人たるを期す。其の頭脳精神の強健なる、亦一代の豪といふ可し。
 余は侯が政友会を発起したるを以て政治的新生涯に入るといふは何ぞや。侯が藩閥の範疇を脱して国民的政治家と為るの序幕は、疑ひもなく政友会の組織なればなり。侯は曾て超然主義の政治家なりき。今や侯は其の宿見を抛棄して自ら政党を組織せり。是れ侯の歴史に一大段落を作りしものに非ずや。唯だ侯が淡泊に旧自由党に入らずして、別に自家の単意に依りて政友会を発起したるは、稍々狭隘自重に過ぎたるの嫌あれども、是れ寧ろ侯の老獪のみ。
 曩に旧自由党総務委員が伊藤侯を大磯に訪ふて、侯に入党を勧め、以て全党指導の位地に立たむことを請ふや、侯は更に熟考の必要ありと称して即諾を与ふるに躊躇したりき。余を以て其の心事を推すに、第一歴史あり情実ある既成政党に入るときは、勢ひ自家の自由手腕を拘束せられて、十分其の意見を行ふこと能はざる恐れあり。第二旧自由党には政敵多く、特に侯の政友は侯と倶に旧自由党に入るを好まざりし事情あり。第三旧自由党は、当時局面展開を唱へて山県内閣と提携を絶ち、随つて事実上山県内閣に反対する態度を執りしを以て、若し伊藤侯にして此の際旧自由党に入りて之れを指導するに至らば、是れ恰も政権争奪の野心を表示するに同じく、山県内閣の手前、甚だ面白ろからず。第四旧自由党たとひ侯を首領として忠実なる服従を誓ふも、他の為に迎立せられたる
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